レ・ミゼラブル 登場人物 推定年齢対照表

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ミリエル
ジルノル
バティス
マブーフ
ヴァルジ
テナルデ
ジルノ嬢
ジャヴェ
テナ夫人
ポン夫人
トロミエ
ファンテ
レーグル
グランテ
ジョリー
アンジョ
クールフ
マリユス
モンパル
コゼット
エポニー
アゼルマ
ガヴロー
テナ次男
テナ三男
17390
17401
174120
174231
174342
174453
174564
174675
174786
174897
17491080
17501191
175112102
1752131130
1753141241
1754151352
1755161463
1756171574
1757181685
1758191796
17592018107
17602119118
17612220129
176223211310
176324221411
176425231512
176526241613
176627251714
176728261815
176829271916
1769302820170
1770312921181
1771323022192
1772333123203
17733432242140
17743533252251
177536342623620
177637352724731
177738362825842
177839372926953
1779403830271064
17804139312811750
17814240322912861
17824341333013972
178344423431141083
178445433532151194
17854644363316121050
17864745373417131161
1787484638351814127020
1788494739361915138131
1789504840372016149242
17905149413821171510353
17915250423922181611464
17925351434023191712575
17935452444124201813686
17945553454225211914797
179556544643262220158108
1796575547442723211691190
179758564845282422171012101
179859574946292523181113112
179960585047302624191214123
180061595148312725201315134
180162605249322826211416145
180263615350332927221517156
18036462545134302823161816700
18046563555235312924171917811
180566645653363230251820189220
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1810716961584137353023252314775430
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18198078706750464439323223161614131296443
1820817971685147454033332417171514131075540
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18228173705349474235352619191716151297762
182382747154504843363627202018171613108873
1824837572555149443737212119181714119984
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18268577745753514639392323212019161311111061
182786787558545247404024242221201714121211720
182887797659555348414125252322211815131312831
182988807760565449424226262423221916141413942
1830898178615755504343272725242320171515141053
1831908279625856514444282826252421181616151164
1832918380635957524545292927262522191717161275
18339284646058462320181786
ミリエル
ジルノル
バティス
マブーフ
ヴァルジ
テナルデ
ジルノ嬢
ジャヴェ
テナ夫人
ポン夫人
トロミエ
ファンテ
レーグル
グランテ
ジョリー
アンジョ
クールフ
マリユス
モンパル
コゼット
エポニー
アゼルマ
ガヴロー
テナ次男
テナ三男

参考箇所。引用はユーゴー、豊島与志雄訳『レ・ミゼラブル(一〜四)』(岩波文庫)、原文の箇所は Project Gutenberg > "Les Misérables" より。

ミリエル司教

Charles François Bienvenu Myriel

1739 - 1821

* 1815年 :

 一八一五年に、シャール・フランソア・ビヤンヴニュ・ミリエル氏はディーニュの司教であった。七十五歳ばかりの老人で、一八〇六年以来、ディーニュの司教職についていたのである。(1巻25頁)

 すでに前に述べたことと思うが、一八一五年に彼は七十五歳に達していたけれど、六十歳以上とは見受けられなかった。(1巻109頁)

* 1821年初 :

 一八二一年の初めに、諸新聞は「ビヤンヴニュ閣下と綽名せられた」ディーニュの司教ミリエル氏の死を報じた。八十二歳をもって聖者のごとく永眠したというのであった。(1巻295頁)

リュク・エスプリ(リュック=エスプリ)・ジルノルマン

Luc-Esprit Gillenormand

1741 - ?

* 1831年 :

 ジルノルマン氏は一八三一年には飛び切りの長寿者だった。(中略)九十歳を越えていたが、腰も曲がらず、声も大きく、目もたしかで、酒も強く、よく食い、よく眠り、鼾までかいた。歯は三十二枚そろっていた。(2巻401頁)

* 1814年 :

 王政復古の初めのころ、まだ若かったジルノルマン氏は――彼は一八一四年には七十四歳にすぎなかった――サン・ジェルマン郭外セルヴァンドニ街のサン・スュルピス会堂の近くに住んでいた。(2巻413頁)

* 1832年 :

ジルノルマン老人は当時、はや九十一歳になっていた。(3巻504頁)

* 1833年2月 :

 一八三三年二月十六日から十七日へかけた夜は、祝福されたる夜であった。夜の影の上には天が開けていた。マリユスとコゼットとの結婚の夜だった。(4巻453頁)

 食後の茶菓子の時になって、ジルノルマン氏はたち上がり、九十二歳の高齢のために手が震えるのでこぼれないようにと、半分ばかり注がしたシャンパンの杯を取り、新夫婦の健康を祝した。(4巻474頁)

バティスティーヌ嬢

Mademoiselle Baptistine

1749 - ?

 ミリエル氏は老嬢であるバティスティーヌ嬢とともにディーニュにきたのであった。彼女は彼より十歳年下の妹だった。(1巻28頁)

マブーフ

Mabeuf

1752頃 - 1832/6/6

* 1832年 :

マブーフ氏はその頃もうほとんど八十歳に達していた。(3巻247頁)

「だが私はもう八十歳だから。」(3巻535頁)

そしてこの二十五歳の暴徒と八十歳を越えた老人との間に、次の対話がかわされた。(3巻590頁)

ジャン・ヴァルジャン

Jean Valjean

1769 - 1833夏

* 1815年10月 :

一八一五年十月の初め、日没前およそ一時間ばかりの頃、徒歩で旅している一人の男が、ディーニュの小さな町にはいってきた。(1巻116頁)

「おお、赤い着物や、足の鉄丸や、板の寝床や、暑さ、寒さ、労働、囚人の群れ、打擲! 何でもないことに二重の鎖で縛られるのです。ちょっと一言間違えばすぐに監禁です。寝ついてる病人にまで鎖がつけられてるんです。犬、そう、犬の方がまだしあわせです! それが十九年間! 私は今四十六歳です。そしてこんどは黄いろい通行券! そういうわけです。」(1巻148頁)

* 1823年12月 :

 ジャン・ヴァルジャンは身をかがめて、子供の手に脣をあてた。
 九カ月前には、永の眠りについたその母親の手に彼は脣を当てたのであった。

(中略)

ただ、彼は五十五歳でありコゼットは八歳であったから、彼が生涯のうちに持ち得たすべての情愛は、一種の言うべからざる輝きのうちに溶け込んでしまった。(2巻136〜138頁)

* 1833年夏 :

「男爵、今からおおよそ一年ばかり前、一八三二年六月六日、あの暴動のありました日、パリーの大下水道の中に、アンヴァリード橋とイエナ橋との間のセーヌ川への出口の所に、ひとりの男がいました。」(4巻594頁)

 彼はあおむけに倒れた。二つの燭台から来る光が彼を照らしていた。その白い顔は天の方をながめ、その両手はコゼットとマリユスとの脣づけのままになっていた。彼は死んでいた。(4巻620頁)

テナルディエ

Thénardier

1773頃 - ?

* 1823年12月 :

 一八二三年のクリスマスは、モンフェルメイュでは特ににぎやかだった。
(中略)
 亭主の方はちょうど五十の坂を越したばかりであった。女房の方は四十台になっていた。(2巻36〜40頁)

Thénardier venait de dépasser ses cinquante ans; madame Thénardier touchait à la quarantaine, qui est la cinquantaine de la femme; [...]

ジルノルマン嬢(マリユスの伯母)

Mademoiselle Gillenormand

1775 - ?

* 1832年 :

 ジルノルマン伯母は、古ぼけた家庭にかく突然光がさし込んできたのを惘然としてながめていた。惘然さのうちには何らの悪意もなかった。それは二羽の山鳩に対する梟の憤った妬ましい目つきでは少しもなかった。五十七歳の罪のない老女の唖然たる目つきであり、愛の勝利をながめてる空しい生命だった。(4巻425頁)

ジャヴェール

Javert

1780 - 1832/6/7

* 1832年6月 :

 彼は二枚のガラスの間に糊付けにされた小さな丸いカードを一枚持っていた。その一面には、フランスの紋章と「監視と警戒」という銘がついており、他の面には、「警視ジャヴェル、五十二歳」としるしてあって、当時の警視総監ジスケ氏の署名があった。(4巻59頁)

テナルディエ夫人

Madame Thénardier

1787頃 - 1832/2〜春

* 1823年12月 :

上さんは彼よりも十四、五歳若かった。(1巻276頁)

 一八二三年のクリスマスは、モンフェルメイュでは特ににぎやかだった。
(中略)
 亭主の方はちょうど五十の坂を越したばかりであった。女房の方は四十台になっていた。(2巻36〜40頁)

Thénardier venait de dépasser ses cinquante ans; madame Thénardier touchait à la quarantaine, qui est la cinquantaine de la femme; [...]

※夫より14歳若いとしてもまだ40には届かないので、矛盾する。

* 1832年 :

テナルディエの女房は予審中に監獄で死んでいた。

※テナルディエ一味は1832年2月3日に逮捕されるが同年春に脱獄。

ポンメルシー夫人(マリユスの母)

Madame Pontmercy

1785 - 1815

 ジルノルマン氏のふたりの娘については、上に少しく述べておいた。ふたりは十年の間をおいて生まれた。(2巻414頁)

 ポンメルシー夫人はいずれの点から見てもりっぱな婦人で、教養がありその夫に恥ずかしからぬ珍しい婦人であった。しかし一八一五年に、ひとりの子供を残して死んだ。(2巻431頁)

フェリックス・トロミエス

Félix Tholomyès

1787 - ?

* 1817年 :

 さてこの一八一七年に、四人の若いパリーっ子が「おもしろい狂言」を仕組んだ。(1巻217頁)

トロミエスは三十歳の道楽者で、身体は衰えていた。(1巻222頁)

ファンティーヌ(ファンチーヌ)

Fantine

1796 - 1823/3

* 1818年春 :

 旅籠屋の入口に箱車や手車があるのは、いかにも普通のことである。一八一八年の春のある夕方、ワーテルローの軍曹の飲食店の前の通りをふさいでいた馬車は、なお詳しく言えばそのこわれた馬車は、いかにも大きくて、もし画家でも通りかかったらきっとその注意をひくであろうと思われるほどだった。(1巻260頁)

 あの「おもしろい狂言」から十カ月過ぎ去ったのである。(1巻265頁)

二十二歳で、春のある美しく晴れた朝、彼女は背中に子供を負ってパリーを出立つした。(1巻267頁)

* 1823年1月 :

 さて前述の事件があってから八カ月か十カ月ばかり後、一八二三年の正月の初め、雪の降ったある晩、この種のしゃれ者の一人であり、閑人の一人であり、モリロ派の帽をかぶってるので「正統派」と呼ばれている一人の男が、寒中の流行の一つである大きなマントに暖かく身を包んで、士官らの集まるカフェーの窓の前をうろついて、一人の女をからかっておもしろがっていた。(1巻333頁)

二十五歳というのに、額にはしわがより、頬はこけ、小鼻はおち、歯齦は現われ、顔色は青ざめ、首筋は骨立ち、鎖骨は飛び出し、手足はやせ細り、皮膚は土色になり、金髪には灰色の毛が交じっていた。(1巻434頁)

※22歳時の記述と矛盾する。およそ25歳くらいという意味だろうか。

 ジャン・ヴァルジャンは身をかがめて、子供の手に脣をあてた。
 九カ月前には、永の眠りについたその母親の手に彼は脣を当てたのであった。(2巻136頁)

ボシュエ、本名レーグル

Bossuet (Lesgle)

1803 - 1832/6/6

* 1828年 :

二十五歳にして既に禿頭だった。(2巻495頁)

グランテール

Grantaire

1803 - 1832/6/6

* 1832年6月 :

それにレーグル・ド・モー、僕は君の禿頭を見るのも心苦しい。君の薬鑵頭と同じ年齢かと思うと僕は屈辱を感ずるんだ。(4巻28頁)

En outre, Laigle de Meaux, ce chauve, m'afflige à voir. Cela m'humilie de penser que je suis du même âge que ce genou.

ジョリー(ジョリ)

Joly

1805 - 1832/6/6

* 1828年 :

ジョリーは医学生だった。彼はボシュエよりも二つ若かった。(2巻496頁)

 ジョリーは、若い神経病みだった。医学から得たところのものは、医者となることよりむしろ病人となることだった。二十三歳で彼は自分を多病者と思い込み、鏡に舌を写して見ることに日を送っていた。(2巻496頁)

アンジョーラ(アンジョルラス)

Enjolras

1806 - 1832/6/6

* 1828年 :

年は二十二歳であるが、十七歳の青年のようだった。(2巻485頁)

* 1832年6月 :

 そして厳然たる様子でこのやせた二十歳の青年は、太い頑丈な人夫を一枝の葦のようにへし折って、泥の中にひざまずかした。(4巻65頁)

Et d'un mouvement souverain le frêle jeune homme de vingt ans plia comme un roseau le crocheteur trapu et robuste et l'agenouilla dans la boue.

※矛盾するが、若いということの表現? 実際は25、6歳のはず。

クールフェーラック(クールフェラック)

Courfeyrac

1807 - 1832/6/6

* 1832年6月 :

そしてこの二十五歳の暴徒と八十歳を越えた老人との間に、次の対話がかわされた。(3巻590頁)

マリユス・ポンメルシー

Marius Pontmercy

1810 - ?

* 1827年 :

 一八二七年に、マリユスは十七歳に達した。(2巻444頁)

* 1831年 :

 その頃マリユスは二十歳であった。祖父のもとを去ってから三年になる。(2巻541頁)

※祖父のもとを去ったのは1828年。

 一八三一年の中ごろ、マリユスの用を達していた婆さんは、マリユスの隣に住んでるジョンドレットというあわれな一家が、まさに追い払われようとしてることを話してきかした。(2巻557頁)

* 1832年6月 :

「なるほど、二十一歳、身分はなし、年に千二百フラン、ポンメルシー男爵夫人が八百屋に二スーの芹を買いに行こうってわけだな。」(3巻516頁)

モンパルナス

Montparnasse

1813 - ?

* 1832年 :

 そして十月のある朝、一八三一年の秋の深い清朗さに誘われて、二人は家を出で、朝早くメーヌ市門のほとりにやって行った。(3巻305頁)

それからまた時もちょうど三月の頃で、日は長くなり、冬は去っていった。冬は常にわれわれの悲しみのある物を持ち去って行く。それからやがて四月となった。(3巻318頁)

この十八歳の恐ろしい無頼漢にとっては、第一に老人と第二に子供とでは、ただ二口の餌食に過ぎないということを、ガヴローシュは認めざるを得なかった。
(中略)
「お前は幾歳だ。」
「十九。」(3巻323〜326頁)

※矛盾するが、地の文はおよそ18歳くらいという意味かと。

コゼット、本名ウューフラジー(ユーフラージー/ウーフラジー/ユーフラジー)

Cosette (Euphrasie)

1815 - ?

* 1818年春 :

 旅籠屋の入口に箱車や手車があるのは、いかにも普通のことである。一八一八年の春のある夕方、ワーテルローの軍曹の飲食店の前の通りをふさいでいた馬車は、……(1巻260頁)

「お幾歳ですか。」
「じきに三つになります。」
「うちの上の子と同じですね。」(1巻271頁)

* 1823年3月 :

今では大きくなってるでしょう。もう七歳ですもの、りっぱな娘ですわ。私はコゼットと呼んでいますが、本当はユーフラージーというんです。(1巻441頁)

* 1823年12月 :

彼女はまだ八歳にしかなっていなかったが、種々な苦しい目に会ったので、あたかも年取った女のような痛ましい様子で考えにふけるのだった。(2巻47頁)

 一八二三年のその同じクリスマスの日の午後、パリーのオピタル大通りの最も寂しい所を、かなり長い間一人の男がうろついていた。(2巻63頁)

「お前さんはいくつになる?」
「八つ。」(2巻71頁)

もうすぐ八歳になろうとするのに、ようやく六歳ぐらいにしか見えなかった。(2巻78頁)

* 1829年 :

コゼットはまだほとんど子供のままで修道院から出てきた。彼女は十四歳をわずか越したばかりで、まだ「いたずら盛り」の時期にあった。(3巻276頁)

エポニーヌ

Éponine

1815 - 1832/6/6

* 1831月2月 :

 その冬のある日、太陽は午後になって少し現われたが、それも二月の二日、すなわち古い聖燭節の日であった。(3巻14頁)

※下記はこの翌日。

一抹の美しさがその十六歳の顔の上に漂っていて、冬の日の明け方恐ろしい雲の下に消えてゆく青白い太陽のように見えていた。(3巻24頁)

ちょうど八年前、一八二三年のクリスマスの晩に、モンフェルメイュのわしの宿屋へきたなあ、お前さんではなかったろうよ。(3巻126頁)

アゼルマ

Azelma

1816頃 - ?

* 1831年2月 :

 年齢は十一か十二くらいに見えた。しかしよく注意して見ると、十五歳にはなってるらしかった。(3巻44頁)

ちょうど八年前、一八二三年のクリスマスの晩に、モンフェルメイュのわしの宿屋へきたなあ、お前さんではなかったろうよ。(3巻126頁)

ガヴローシュ

Gavroche

1820冬 - 1832/6/6

* 1823年12月 :

 一八二三年のクリスマスは、モンフェルメイュでは特ににぎやかだった。(2巻36頁)

 先年の冬テナルディエの上さんがもうけた男の児である。「どうしたんだろう、あまり寒いから子供ができたのかも知れない、」などと上さんは言っていた。もう今では三歳余りになっていた。(2巻39頁)

* 1831年 :

 この物語の第二部に述べられた事件から八、九年たった時、タンプル大通りやシャトー・ドォーの方面において、十一、二歳のひとりの少年が人の目をひいていた。(2巻396頁)

* 1832年6月 :

こんどは彼も顔を舗石の上に伏せ、そのまま動かなかった。偉大なる少年の魂は飛び去ったのである。(4巻224頁)

※冬生まれで1823年12月25日時点で3歳なので、6月にはまだ11歳だったと思われる。

テナルディエの次男

1825頃 - ?

テナルディエの三男

1827頃 - ?

* 1832月春 :

 ガヴローシュが人形や窓ガラスやウィンゾール石鹸などをのぞいてる間に、彼より小さなかなりの服装をしたふたりの子供が、それも背たけが異なってひとりは七歳くらいでひとりは五歳くらいだったが、おずおずと戸のとっ手を回して、店にはいってゆき、おそらく慈悲か何かを願いながら、懇願というよりもむしろうめきに似た声でぶつぶつつぶやいた。(3巻370頁)

* 1832月6月 :

ひとりは七歳くらいで、ひとりは五歳くらいだった。(4巻225頁)

* マリユスの家出とABCの友紹介の記述は1828年 :

 こんどはマリユスが炭火で、ジルノルマン氏が韛となった。(中略)やがて彼は目を上げ、祖父をじっと見つめ、そして雷のような声で叫んだ。
「ブールボン家なんかぶっ倒れるがいい、ルイ十八世の大豚めも!」
 ルイ十八世はもう四年前に死んでいた。しかしそんなことは彼にはどうでもよかった。(2巻478頁)

※ルイ十八世: 1755年11月17日 - 1824年9月16日

かくして、前に述べたとおり、一八二八年のクールフェーラックの言うことを聞く者は、一八一七年のトロミエスの言うことを聞く思いがするであろう。(2巻493頁)