原作との対比 — 「対決」まで

— Every man is born in sin, Every man must choose his way —

 ヴァルジャンの "Who Am I" からファンティーヌの死、"The Confrontation" の対決シーン。原作と対比してみよう。舞台ではジャヴェールは、ヴァルジャン(本当は濡れ衣の別人)が捕まった、ということを伝えるだけだが、原作のジャヴェールにはもう少し複雑な経緯がある。

 マドレーヌ市長(=ジャン・ヴァルジャンの仮の姿)に、ファンティーヌの放免を命じられたジャヴェールは、常々猜疑していたマドレーヌ市長を彼がジャン・ヴァルジャンだとパリー警視庁に告発。ところが折しも真のジャン・ヴァルジャン(実際には誤認で捕まった人物である)が発見されていたため、ジャヴェールの告発は「気違いであると」言われて却下されてしまう。それを認めたジャヴェールは、己の行った告発は権威を侮辱した重大な罪であったと考え、免職を求めてマドレーヌ市長の元へやってきたのだった。

 「さて、何ですか、どうかしたのですか、ジャヴェル君。」
 ジャヴェルは何か考え込んでいるかのようにちょっと黙っていたが、やがてなお率直さを失わない悲しげな荘重さをもって声を立てて言った。
 「はい、市長殿、有罪な行為がなされたのです。」
 「どういうことです?」
 「下級の一役人が重大な仕方である行政官に敬意を失しました。私は自分の義務としてその事実を報告に参ったのです。」
 「その役人というのはいったいだれです。」とマドレーヌ氏は尋ねた。
 「私です。」とジャヴェルは言った。
 「君ですって。」
 「私です。」
 「そしてその役人に不満なはずの行政官というのはだれです。」
 「市長殿、あなたです。」
 マドレーヌ氏は椅子の上に身を起こした。ジャヴェルはなお目を伏せながらまじめに続けた。
 「市長殿、私の免職を当局に申し立てられんことをお願いに上がったのです。」
 マドレーヌ氏は驚いて何か言おうとした。ジャヴェルはそれをさえぎった。
 「あなたは私の方から辞職すべきだとおっしゃるでしょう。しかしそれでは足りません。自ら辞職するのはまだ名誉なことです。私は失錯をしたのです。罰せらるべきです。私は放逐せられなければいけないのです。」
 そしてちょっと言葉を切ってまたつけ加えた。
 「市長殿、あなたは先日私に対して不当にも苛酷であられました。今日は正当に苛酷であられなければいけません。」

ユーゴー、豊島与志雄訳『レ・ミゼラブル(一)』(岩波文庫)

 だが市長は、告発したことについては自分個人に対する非礼であり大きな過失ではなく、クビにすることなどできないとの旨を告げる。しかし重ねて免職を求めるジャヴェール。少々長いが、引用。

 「過失を大きく見すぎてると言われますが、私は決して大きく見すぎてはいません。私の考えていることはこうであります。私はあなたを不当に疑ったのです。それは何でもありません。たとい自分の上官を疑うのは悪いことであるとしても、疑念をいだくのは私ども仲間の権利です。しかし、証拠もないのに、一時の怒りに駆られて、復讐をするという目的で、あなたを囚人として告発したのです、尊敬すべき一人の人を、市長を、行政官を! これは重大なことです。きわめて重大です。政府の一機関たる私が、あなたにおいて政府を侮辱したのです! もし私の部下の一人が私のなしたようなことをしたならば、私は彼をもって職を涜す者として放逐するでしょう。いかがです。——市長殿なお一言いわして下さい。私はこれまでしばしば苛酷でありました、他人に対して。それは正当でした。私は正しくしたのです。しかし今、もし私が自分自身に対して苛酷でないならば、私が今まで正当になしたことは皆不当になります。私は自分自身を他人よりもより多く容赦すべきでしようか。いや他人を罰するだけで自分を罰しない、そういうことになれば私はあさましい男となるでしよう。このジャヴェルの恥知らずめ! 言われても仕方ありません。市長殿、私はあなたが私を穏和に取り扱われることを望みません。あなたが他人に親切を向けられるのを見て私はかなり憤慨しました。そしてあなたの親切が私自身に向けられるのを欲しません。市民に対して賤業婦をかばう親切、市長に対して警官をかばう親切、上長に対して下級の者をかばう親切、私はそれを指して悪しき親切と呼びます。社会の秩序を乱すのは、かかる親切をもってしてです。ああ、親切なるは易く、正当なるは難いかなです。もしあなたが私の初め信じていたような人であったならば、私は、私は決してあなたに親切ではなかったでしょう。おわかりになったであろうと思います。市長殿、私は他のすべての人を取り扱うように自分自身をも取り扱わなければなりません。悪人を取り押さえ、無頼漢を処罰する時、私はしばしば自分自身に向かって言いました、汝自らつまずき汝自らの現行を押さえる時、その時こそ思い知るがいい! と。今不幸にも私はつまずき、自分の現行を押さえています。さあ解雇し罷免し放逐して下さい。それが至当です。私には両の腕があります、地を耕します。結構です。市長殿、職務をりっぱにつくすには実例を示すべきです。私は単に警視ジャヴェルの免職を求めます。」

ユーゴー、豊島与志雄訳『レ・ミゼラブル(一)』(岩波文庫)

 他者に厳しいが己にも厳しい、ただ「正しいこと」のみを見つめて生きる、実にジャヴェールらしい、潔く一貫した論理なのである。

 さて、マドレーヌ市長は結局これを退けるが、苦悩することになる。曰く「天国のうちにとどまって悪魔となるか! あるいは、地獄に下って天使となるか!」結果、法廷に出向き、名乗りを上げることになる。この法廷の席にはジャヴェールは公用で居なかったが、ヴァルジャンは証人として出されていたかつての囚人仲間たちの特徴などを言い当てて見せ、自分こそがヴァルジャンであることを証す。その後、ヴァルジャン逮捕はジャヴェールに任されることになる。原作では、ファンティーヌのいる病舎にジャヴェールがやってくるのは、彼女がまだ生きている間のことである。ついに捕らえたぞと喜び勇んでやってくるジャヴェール。

 その鞣革のカラーの留め金は、首の後になくて、左の耳の所にきていた。それは非常な動乱を示すものであった。
 ジャヴェルは一徹な男であって、その義務にも服装にも一つのしわさえ許さなかった。悪人に対して規律正しいとともに、服のボタンに対しても厳正であった。
 カラーの留め金を乱している所を見ると、内心の地震とも称し得べき感情の一つが、彼のうちにあったに違いなかった。
(中略)
 マドレーヌの視線とジャヴェルの視線とが合った時、ジャヴェルは身をも動かさず位置をも変えず近づきもしないで、ただ恐るべき姿になった。およそ人間の感情のうちで、かかる喜びほど恐るべき姿になり得るものはない。
 それは実に、地獄に堕ちたる者を見いだした悪魔の顔であった。
 ついにジャン・ヴァルジャンを捕え得たという確信は、魂の中にあるすべてをその顔の上に現さしたのである。かき回された水底のものが水面に上がってきたのである。

ユーゴー、豊島与志雄訳『レ・ミゼラブル(一)』(岩波文庫)

 ファンティーヌは既に錯乱気味で、再び自分を捕らえに来たものと思い怯える。この辺からジャヴェールは嬉しさの剰りか妙に尊大になり、「ジャヴェル君……」というヴァルジャンに「警視殿と言え」などと一喝、「三日の猶予を与えて下さい」と慇懃に頼まれるも一蹴。子どもの話に反応したファンティーヌは恐怖して叫ぶが、やがて息絶える。ヴァルジャンはジャヴェールに向かって「あなたはこの女を殺した」と非難するが、とりあわないジャヴェール。ヴァルジャンは古い鉄の寝台の枕木を持ち前の怪力ではずすと「今しばらく私の邪魔をしてもらいますまい」。怯えたジャヴェールは護衛を呼びに行こうかと思うが、ヴァルジャンが逃走するかと思うとそれもできない。ヴァルジャンはファンティーヌに最後の別れを告げたり色々(って、ちょっと違うが省略)、そしてジャヴェールに向き直る。「さあ、これから、どうにでもしてもらいましょう」。つまりヴァルジャンは、ファンティーヌとの空間を邪魔されぬよう威嚇しただけであって、舞台のように殴り倒したり逃げたりはしていないのである。なおこの後、ヴァルジャンは投獄されるが、また脱獄に成功する。

 この部分に関しては、舞台版のわかりやすい「対決」が好きだ。なぜって殴り倒されて気絶するジャヴェールが可愛いし……。しかし原作の、ウキウキとやってきて偉そうにしておきながら、ヴァルジャンの怪力に怯えてしまうジャヴェールも可愛さでいうと甲乙つけがたい。笑

 舞台ヴァルジャンは、 "If I have to kill you here I'll do what must be done! "(日本語歌詞は「お前をたとえ刺し殺しても俺はやるぞ」)と、ずいぶん過激である。実際に殺すつもりはなくあくまで脅しているだけだろうが、コゼットの命を護るためジャヴェールの命は奪ってもいいという……。

 このようにして誰からも愛されたことがなく、誰をも愛したことがなく、愛を知らずに死んでいくのがジャヴェールであった。