"あなたを愛してたような気がするの"

— Je crois que j'étais un peu amoureuse de vous —

翻訳比較シリーズ。エポニーヌの最期の台詞を見比べてみる。

「そして、ねえ、マリユスさん、あたしいくらかあなたを慕ってたように思うの。」

ユーゴー、豊島与志雄訳『レ・ミゼラブル(四)』(岩波文庫)

「それからねえ、マリユスさん、あたし、ちょっとあなたを愛してたような気がするの」

ユゴー、辻昶訳『レ・ミゼラブル 4』(講談社文庫)

「それから、ねえ、マリユスさん、わたし、あなたをいくらか恋してたんだわ」

ユゴー、佐藤朔訳『レ・ミゼラブル(四)』(新潮文庫)

「それに、ねえ、——マリユスさん、あたし一寸あなたが好きだったのよ」

ユゴー、坪井一・宮治弘之訳『世界文学全集16 レ・ミゼラブル II』(集英社)

 この中では、辻訳の「気がする」という表現と、豊島訳の「慕ってた」という表現が好き。文字どおり命がけで片思いをしたマリユスに対し、愛していた「気がする」としか言えない・あるいは敢えてそう言い残したところに、エポニーヌの魅力がある。原文は、

—Et puis, tenez, monsieur Marius, je crois que j'étais un peu amoureuse de vous.

 "Je crois que〜" は断定せず控えめに「〜だと思うのですが」という意味。上記の新潮文庫や集英社の訳は断定的だが、ここは断定しないでほしい。 "un peu" は「すこし」。それから "(être) amoureuse de〜" は辞書を眺めると、〜に恋をする、惚れる、等々とあるけれど、「愛してた」と「恋してた」は異なるのではないかと思わないでもない。そうだとすると「いくらかあなたを慕ってたように思うの」が最も直訳ということなのだろうか? そのあたりの諸々を考えると、個人的な好みとしては「あたし、いくらかあなたに恋していた気がするの」くらいに訳したいかもしれない。