ジャヴェール — 愛の外側で

 Javertという人間は、とにもかくにも「警視」(訳によっては「警部」)である。原作中にもその私生活というものはほぼ全く表現されていない。その生い立ちや性質に鑑みておそらく独身の一人暮らしだろう(使用人はいるだろうけど)とは推察されるが、出てくる時はいつでもどこでも勤務中であり、どこにどのようにして生活しているのかといったことは全く謎である。

 私が定めかねていることのひとつに、Javertは殺されたのか、自決したのか、ということがある。双方だろうか? ただし当初はどちらかというと前者寄りだったが、今は後者寄りと見ているかもしれない。より詳しく言えば、ミュージカルは前者寄り、原作は後者寄りかと思う。殺された、というのは即ちその信仰、あるいはValjeanの慈悲によってである。

 Les Misérablesの大きな主題に「愛」というものがあることは確かだ。そしてJavertこそは、そのあらゆる「愛」の外側にいた。「愛」には二つの側面がある。愛することと、愛されること。たとえば、Les Misérablesの裏のヒロインであるEponineは、「愛されること」を得なかった。両親に愛されることもなく、恋人に愛されることもなかった。さらに原作では、Mariusを庇って銃弾に倒れたにも拘わらず、Mariusときては彼女が死ぬや否や、彼女が持ってきたCosetteからの手紙に心を奪われているという悲惨さである。しかしながら彼女は絶対的な「愛する」という強さによって、生き、そして死んでいった。Jean Valjeanもそうかもしれない。Cosetteは確かにValjeanを愛してはいたが、彼がCosetteに向ける剰りにも深く特殊な愛情には比ぶべくもなく、結果的にCosetteの愛する者はやはり恋人たるMariusであった。このように、非常に強い「愛」が一方的に注がれる、というケースが多い。Enjolrasに軽蔑されながらも彼を愛し続けたGrantaireもそうであって、彼については別ページに書いたように、その最期には「赦し」を得ている。しかしこれはあくまでもGrantaireの信仰に対してEnjolrasが下した赦しであり、対等な愛情とは考え難い。

 そんな中、「愛すること」と「愛されること」、その双方を知ることがなかったのがJavertであると思うのである。バリケードでJean Valjeanが彼に与えたものは、愛というよりは慈悲である。彼がValjeanを逃したのも同様だ。結局、彼は「愛」と無縁のままに生き、そして死んでいった。その死を理解する者もいなければ、おそらく悲しむ者もいなかったのだろう。Javertは彼の遺した手記(徒刑囚に対する待遇の改善などを意見している)によって「精神に異常を呈して自殺を行ったものらしい」と見做され、それを知ったValjeanも「実際彼は、私を捕えながら放免したところをみると、どうしても既にあの時から気が狂っていたに違いない」と考えるのである。

 ミュージカルのフィナーレ。

For the wretched of the earth
There is a flame that never dies.
Even the darkest night will end
And the sun will rise.

They will live again in freedom
In the garden of the Lord.
They will walk behind the plough-share
They will put away the sword.
The chain will be broken
And all men will have their reward.

Les Misérables - The Complete Symphonic Recording (Fisrt Night Records)

世に苦しみの炎消えないが
どんな闇夜もやがて朝が
彼ら主の国で 自由に生きる
鋤や鍬を取り 剣を捨てる
鎖は切れてみな救われる

レ・ミゼラブル 日本公演ライヴ盤(東芝EMI)

 Les Misérablesは、哀しい物語だ。登場人物の多くが物語の途上で死んでゆく。だが最後には、かれらもまた天国で救われる。それは死であるが、また希望でもある。終わりであるが、始まりでもある。原作にてEnjolrasは言う。

愛よ、未来は汝のものである。死よ、われは今汝を使用するがしかし汝を憎む。諸君、未来には、暗黒もなく、剣撃もなく、狂猛な無知もなく、血腥い復讐もないだろう。もはやサタンもないとともに、ミカエル(訳者注 戦の天使)もないだろう。未来には、何人も人を殺すことなく、地は輝き渡り、人類は愛に満たさるるだろう。諸君、すべてが一致と調和と光輝と喜悦と生命とであるべき日も、やがては来るだろう。そしてわれわれがまさに死なんとするのは、そういう日をきたさんためである。

ユーゴー、豊島与志雄訳『レ・ミゼラブル(四)』(岩波文庫)

 だが、Javertはどうだろうか。フィナーレの光の中に、彼の姿はない。「自殺」というものは終わりのない暗黒である。おそらくそこに、光の差すことはない。


 ところで再び、散々非難している(しかし不満を持っていたのは私ばかりではないようだ)某映画の結末なのだが、あの中に描かれるJavertに関しては、あるいは愛を知って死んでいったのではないか、とも思える。Jean Valjeanの慈悲によって革命された彼は、己の死をもってValjeanに自由という生を与えた。それは愛ではないだろうか。それはそれで確かに美しいのだが、原作のJavert像からは逸脱していて、「原作で叶わなかったことを叶える」という意味ではファンフィクション的だと思う。


 誰をも愛さず、誰にも愛されなかった、神のもとへ行けなかった(あるいは、行かなかった)Javert。だが、ほんとうはそれゆえに彼を愛している人々がいた。それが古今東西の多くの読者・観客、表現者である。

 最後に、ミュージカル2000-2001年公演のパンフレットより、Javert役・川崎麻世のメッセージを引用する。(私はこの舞台は観ておらず、後にパンフレットを手に入れただけだが)。

 無数の星を見つめる氷の様に冷たい貴方の目は、どこまでも鋭くそして眩しい。

 堅く閉ざされた心の扉の鍵を探そうともせず、貴方はそれを神の道と信じ歩き続ける。

 ジャベール。私は貴方に気づいて欲しい。

 愛によって罪は赦され、人に愛を与える喜びを知る。人は皆孤独、すべてを失った時、本当の愛に気付く。私は貴方を助けたい、私の中のジャベール……。