英語歌詞との対比 — 「ジャベールの自殺」

どうして許せよう
俺が追うあいつに 追い詰めたあいつに
命まで救われた
俺を殺すのがあいつの権利
死ぬはずの俺が
地獄で生きている

レ・ミゼラブル 日本公演ライヴ盤(東芝EMI)

 "Javert's Suicide" において歌われる、「どうして許せよう」というフレーズ。日本語歌詞では前後の台詞の流れから、どうしてあの男(バルジャン)の「罪を」許せよう? ととれなくもない。が、この部分の英詞は、

How can I now allow this man
To hold dominion over me.
This desperate man whom I have hunted
He gave me my life. He gave me freedom.

I should have perished by his hand
It was his right
It was my right to die as well
Instead, I live... but live in hell.

Les Misérables - The Complete Symphonic Recording (Fisrt Night Records)

 どうしてこの私を支配する男を許せよう? となっている。悪人として追い続けてきたはずのジャン・バルジャンによって、自分(の生き方)を支配されること、すなわち自己の内に起きた変革に対するジャベールの独白なのである。

 さらに続く「俺を殺すのがあいつの権利」という部分にももう一言ある。私は彼に滅ぼされるべきだった、それが彼の権利だった。そうして死ぬことが私の権利だった。ジャン・バルジャンに殺される権利、という意味の表現は、原作にもある。

 しかしまた、何ゆえに彼は自分を生かしておくことをその男に許したのだったか。彼は防寨の中で殺さるべき権利を持っていた。彼はその権利を用うべきだったろう。他の暴徒らを呼んでジャン・ヴァルジャンを妨げ、無理にも銃殺されること、その方がよかったのである。

ユーゴー、豊島与志雄訳『レ・ミゼラブル(四)』(岩波文庫)

 ジャベールにしてみれば、悪人であるジャン・バルジャンは彼に恨みを持ち、命を奪っても自由を得ようと考えるはずの存在である。バルジャン(と暴徒たち)が彼を殺していたなら、このジャベールの信念に基づく公式が壊されることはなかったのだ。

 最後に、下記の部分。

あいつは俺に この命与えて殺した

レ・ミゼラブル 日本公演ライヴ盤(東芝EMI)

 少しわかりにくい気もするが、一応これは重要な点をちゃんと残して約められている。

And does he know
That, granting me my life today
This man has killed me even so?

Les Misérables - The Complete Symphonic Recording (Fisrt Night Records)

 彼は知っているだろうか? 私に命を与えたが、それはむしろ私を殺したのだということを。

 しかし、この独白を、真実を、ジャン・バルジャンが「知る」ことは永遠になかった。ミュージカル作中では、その後ジャベールに言及されることはない。原作ではジャン・バルジャンを含む何人かの登場人物がそれぞれ彼の死を知る場面があるが、

 それからまたジャン・ヴァルジャンは、ジャヴェルから免れたことを知っていた。その事実が自分の前で話されるのを聞いて、彼は機関新聞で更に確かめてみた。その記事によると、ジャヴェルというひとりの警視が、ポン・トー・シャンジュとポン・ヌーフの二つの橋の間の洗濯舟の下に溺死してるのが発見された、しかるに彼は元来上官からもごく重んぜられ何ら非難すべき点もない男であって、その際残していった手記によって考えれば、精神に異状を呈して自殺を行なったものらしい、というのだった。ジャン・ヴァルジャンは考えた。「実際彼は、私を捕えながら放免したところをみると、どうしても既にあの時から気が狂っていたに違いない。」

ユーゴー、豊島与志雄訳『レ・ミゼラブル(四)』(岩波文庫)

 ジャベールの苦悩は、当のジャン・バルジャンに伝わることはなく、「気が狂っていたに違いない」と片づけられてしまうのだった。