Les Misérables (Le Chanois, 1958)

— "Qui êtes-vous?" "Personne." —

映画『レ・ミゼラブル』('58 フランス)ジャン=ポール・ル・シャノワ監督

Les Misérables
Jean-Paul Le Chanois / 1958
Jean Gabin, Bernard Blier

映画『レ・ミゼラブル』
1958年 フランス
ジャン=ポール・ル・シャノワ監督
ジャン・ギャバン主演

・全面的に、ナレーションがある。
・ストーリー展開はかなり原作に忠実。
・各人物の顔がちょっと……。
・ABCの友は出てくる。暴動シーンの描写が詳細。
・1950年代の映画ということで、良くも悪くも古めかしい。

個人的評価

映像
音楽
キャスト
エンタメ性
雰囲気
物語の解釈
原作に忠実度

 かなり忠実に原作を追った感のある映画。ナレーションが解説を入れてしまうので、わかりやすさという点で単純に他の新しい作品と較べるのはちょっと反則かもしれない。各登場人物の風貌が、(現代の感覚からすると)あまり美しくないため、いまひとつ画面が格好よくない。コゼットとマリウスは例外的に美形。

 音楽がいかにも古い映画という、間延びした陽気さで軽い感じを与え、シリアスなシーンにも緊迫感がなく、好きになれない。対して映像は、もちろん時代なりの古さはあるものの美しく、意図的に原書の挿絵を再現したと思われるシーンも多数ある。全体的にはやや雰囲気が明るすぎ、野暮ったい印象。

 一番好きな点は、暴動シーンからアンジョルラスとグランテールの死までがきちんと描かれていること。

 以下、ネタバレ注意。

 ジャン・ヴァルジャン(ジャン・ギャバン)は、まあ、可もなく不可もなく、やっていることはほぼ原作どおりでつっこみどころがない。古い演技の中で、ヴァルジャンは最も現代に通用する感じではないかと思う。ちなみにジャヴェールとのいきさつはなかなか良いのだが、何しろ二人ともヴィジュアルがダンディとはほど遠いため、ムードが削がれる……。ヴァルジャンを送ってゆく際、最後にジャヴェールが訊ねる。「私を何故助けた?」それに対してヴァルジャンは「分からんのか」と問い返す。「ああ」と答えるジャヴェールに、静かに「哀れだな」と告げ、踵を返すヴァルジャン。ひとり佇むジャヴェール。この映画で最も印象的なオリジナルシーンかもしれない。

 ジャヴェール(ベルナール・ブリエ)は、顔も身体もぼってりとして、威厳も神経質さもない。もともと緊迫感に欠ける映画だが、バリケードで逃がされるところなどもなんだかときめけない。映画全体としては結構好きなので、つくづく配役が惜しい。登場人物の中で、一番納得できないのがジャヴェールである。なんとまず冒頭でジャヴェールの父がトゥーロンの看守であり、彼は幼少時代に囚人を見て育ち、そこでヴァルジャンをも見ていたという設定になっている。いきなりまたビックリ映画かと思ったらまあそのあとは非常に原作どおりに進んだのだが、父が看守というのでは、抑もジャヴェールの生い立ちによる彼の根となるものが違ってきてしまう。まったく不可解な創作。そして途中はまずまず普通なのだが、一番の要とも云える、自殺に至るシーンがこれまた非常にいただけない。ヴァルジャンを送っていくあたりまでは結構良いのだが……。まず自殺の時間は真っ昼間だし、意見書を書くこともなく、いきなり自分に手錠をかけて川に落ちる。さらには、橋の上からでもない。そしてまた、このシーンに流れる妙に陽気な音楽がなんとも言えない不可解な効果をもたらしている。せめて最期の場面ではコートと帽子を着用してくれたのが救いだろうか。

 とにかくヴァルジャンとジャヴェールがイマイチなのは痛いところだが、それ以外の人物はわりと良い。

 ファンティーヌ(ダニエル・ドロルム)は結構良い。マドレーヌ市長に啖呵を切るところのキレ具合といい、どこか幼げなところといい、私好み。髪もブロンドで顔も可愛い。もっとも十九世紀初頭の話にしてはやや容貌が近代的か……? 初登場はバマタボワとの喧嘩シーンで、それから次第に過去が明かされていく。テナルディエ夫妻にコゼットを預けるシーンもある。原作からして、テナルディエに娘を預ける動機は現代の感覚からするとかなり不自然なものだが、それさえもなにやら自然に見える感じのキャラなのある。ただし、死の床にあってもわりと元気なのは(空元気ということではなく)ちょっと不自然。

 マリユス(ジャンニ・エスポジート)といえば巻き毛に慣れたので、やけにコンパクトな頭には違和感を感じるが、この映画の男性陣では唯一の美形? 父のジョルジュ・ポンメルシー大佐(ジャン・ミュラ)もちゃんと登場し、マリユスの心境の変化も比較的に自然である。また最後に、ヴァルジャンの過去を知り、彼を嫌悪するようになるのも克明に描かれている。ちょっと夢想的な感じこそ足りないが、かなり良いマリユス。

 コゼット(ベアトリス・アルタリバ)は超可愛い! 非常に純粋で、それゆえにどこかナチュラルに失礼なところもあるが、憎めない。あまり一人の女性としての細かい描写はされていないものの、コゼットという人物像には却ってそれも相応しく思えるところである。

 対して、レミゼのもう一人のヒロインであるエポニーヌ(シルヴィア・モンフォール)は、描かれ方は悪くないのだが、なにやらあまりに絵に描いたような不細工。顔立ちというよりは、雰囲気自体が。対比して見た時多くの人が終始コゼット贔屓になってしまいそうである。確かにエポニーヌという少女は決して美しくはないだろうが、それは生い立ちや境遇からくるものであり、単に醜い女の子というわけではないと思うのだ。欲を言えば、清廉さと下品さ、醜さと美しさの同居する空気が欲しい。

 テナルディエ(ブールヴィル)は、狡賢く立ち回る面を強調した感じ。ガヴローシュ(ジミー・ユルバン)は、ちょっと大きすぎないか?

 アンジョルラス(セルジュ・ルジアーニ)は、とにかく顔がまずい。アンジョルラスと思わなければ取り立てて不細工と云うほどではないものの、二十代半ばとは到底思えない老け顔である。ただし、雰囲気全体の醸し出す指導者感はなかなか良いものがある。紹介では、ナレーションのみならず、説明的な台詞が入ってしまうのはちょっと残念だが。

 暴動の描写がかなり詳細。敵の砲手長を撃とうとするアンジョルラスとコンブフェール(と思しき人物)とのやりとり、捕虜になるジャン・プルーヴェール(ピエール・タバール)、コラント亭に突入する兵士たち、ついに武器がなくなり瓶で攻撃するところなど、原作のエピソードが大いに取り入れられている。

 私のお気に入りは、彼らの最後。原作と同じくアンジョルラスとグランテール(マルク・エロー)が残される。コラント亭の二階に追い詰められたアンジョルラスに、兵士達が銃を構える。そこで、「待て、ここにもいる」と顔を上げるグランテール。徐にアンジョルラスの隣に行くと、並んで立つ。「俺も一緒だ」。ここで映画では、兵士たちがそのグランテールに「何者だ?」と問うのである。グランテールはただ「人間さ」と答える。そうして銃は一斉に放たれる。グランテールはどさりとアンジョルラスの足下に倒れ、アンジョルラスはしばらくそのまま項垂れたままだったが、やがて静かに倒れていく。ヴィジュアル的には原作の見事な再現だが、そこに持たせている意味は異なるようにも思える。このグランテールの最後の台詞は、 "Personne." と言っているように思う。もちろん人間という意味もあるが、ここでの流れとしては「何者でもない」という意味だろう。(※追記:後に英語字幕版を見たら "Nobody" と訳されていた。)なおグランテールの人は、風貌も良い感じ、むしろグランテールにしては美形すぎるかも。

 というわけで、私にとってこの映画一番の見所は暴動シーン。が、ABCの友に関して暴動当日以前の描写が少なめなので、彼らの個性まではなかなか見て取れないところが惜しいところ。