Notre-Dame de Paris - ノートル=ダム・ド・パリ - 楽曲

 ナンバーごとのあらすじと一言感想。内容は基本的にはDVDに拠りますが、原作の設定を参考にしていることもあります。

 ※注意
 一部工事中の箇所があります。また、曲名や歌詞の翻訳は勝手に付けたもので、正確ではありません。

Acte I

Ouverture

 一幕終わりにも数回出てくるこの旋律。メインテーマなのだろうか。(二幕の "Vivre" で歌われる旋律)

Le temps des cathédrales

 最初は後に壁があるだけのシンプルなセット。やがてガーゴイル像の石柱がゆっくりと動いていく。この作品の語り部である詩人グランゴワールが物語背景を歌う導入シーン。«Il est venu le temps des cathédrales, le monde est entré dans un nouveau millénaire. L'homme a voulu monter vers les étoiles, écrire son histoire dans le verre ou dans la pierre.»「大聖堂の時代が訪れ、世界は新たな千年紀に入った。人は星へ向かって登り、硝子と石材に自らの物語を記したがっていた」。グランゴワールの美声に魅せられるいきなりの大名曲。どこまでもどこまでも高音に駆け上がっていく美しい旋律は聳え立つ聖堂をイメージしているのだろうか。

Les Sans-papiers

 クロパンを頭とするサン=パピエ(身分証明書を持たない者)たちが"Asile"(避難所、すなわち寺院の不可侵権)を求めて集っている。クロパンの力強い歌声と存在感が素晴らしい。あたりで寝ていたサン=パピエたちが起きあがり、拳法を思わせる(?)ダンスが繰り広げられる。«Le monde va changer, et va se mélanger.»「世界は変貌してゆくだろう。そして混ざりあってゆくだろう」社会の外に位置する異邦人たちが歌う言葉である。これはこの作品の主題のひとつともなっているようだ。一方、ノートル=ダムの司教補佐フロロは、じっと厳しい面持ちでその様子を眺めていた。

Intervention de Frollo

 フロロの命令で、王室親衛隊長フェビュス・ド・シャトーペールはパリの治安を乱すサン=パピエたちを駆逐する。フェビュスの昔のアイドル歌手かのような衣装(笑)は、銀色の上衣が騎士の鎧を表しているのだろう。

Bohémienne

 その中、フェビュスは、ジプシーの踊り子エスメラルダと出会った。エキゾチックで気怠げな美声のエスメラルダは大人の女という印象で、原作のようなピュアな少女という感じはあまりない。いきなり "belle étrangère"「綺麗な異邦人」などと話しかけ、軽口を叩くフェビュス。エスメラルダは警戒するよう、いつも持っているナイフを手に後退るが、やがて並んで座ると話し始める。「あたしは大道の娘。どこからやってきたのか、明日どこにゆくのか、誰を愛するのか、誰も知らない。それは手相に書いてあるの」。エスメラルダは踊る。やがて兄代わりであるクロパンの元へ、そしてフェビュスは婚約者である貴族の娘、フルール=ド=リスの元へとそれぞれ戻っていく。

Esmeralda tu sais

 エスメラルダを兄のように育ててきたクロパンは、成長した彼女に、男たちに気を付けるよう忠告する。さきほどの強面とはうってかわって優しげに(というより過保護にお節介っぽく)語りかけるクロパン。

Ces diamants-là

 フェビュスとフルール=ド=リスのデュエット。ノートル=ダムのステンドグラスが、シンプルなスポットライトの影で表現されるのがとても美しい。浮気な気性をやや疑いつつも(?)ひたむきに婚約者を愛しているフルール=ド=リスと、軽々しく褒め言葉を連ねてご機嫌を取るフェビュス。手を取り合っている二人のところへグランゴワールがおもむろにやってきて、花吹雪で祝す。

La Fête des fous

 最も醜いしかめつらをした者を "Le Pape des fous"(愚者の法王)に選ぶという、ばか騒ぎが行われる。グランゴワールが仕切っている。この作品はあまり大量に歌詞を詰め込まないシンプルな歌が多いが、ここでもそれぞれ一音ずつに載せて合唱される"La fête des fous" と "Le pape des fous" の繰り返しがフランス語ならではという感じできれい。車輪の付いた柵を使ったアクロバティックなダンスが繰り広げられる。

 やがて人々は隠れて様子をうかがっていたノートル=ダムの鐘つき男カジモドを "Le Pape des fous" に選ぶ。その醜い顔が、本当の素顔であるとは知らずに。ロープを付けて人々が引く滑る板(輿を表現?)に乗せられるカジモド。ツンツンの赤毛に、衣装も赤。醜怪なメイクを施しているが、素が美形なために映像でアップにされるとちょっと無理が生じている(笑)

Le Pape des fous

 カジモドは"Le Pape des fous"に選ばれたことをそれなりに喜んでいるようにも、皮肉っているようにも見える。板がつり上げられてゆき、それに乗っているカジモドはエスメラルダに語りかけるが、相手にされない。そこへフロロがやってくた。怯えるようなカジモド。フロロはエスメラルダたちを追い払い、カジモドに歩み寄ると、怒って愚者の法王の冠を払いのけた。

La Sorcière

 フロロはカジモドに、エスメラルダは魔女だと教え、イエス・キリストへの信仰を教えるためという名目で攫ってくるよう命じる。フロロのためならば何でもするカジモド。

L'Enfant trouvé

 醜い容姿のため捨てられていたカジモドを養子として育ててくれたフロロ。俺の存在すべてがあなたのものだ、とその盲目的な敬愛を語るカジモド。だがフロロは無表情に遠ざかる。«Tu m'as appris à parler, à lire et à écrire. Mais je ne sais pas lire le fond de tes pensées.» 「話すことも、書くことも、読むこともあなたが俺に教えてくれた。なのに、あなたのほんとうの心だけは俺には読むことができないのだ」。

Les Portes de Paris

 パリの不穏な夜を歌い上げるグランゴワール。甘い高音が美しい。そのうちに不法滞在者たちの住処に迷い込んでしまう。原作のグランゴワールは一文無しになって彷徨っているところだが、こちらは知ったかぶり風なのか余裕を感じさせる(その分、後の展開がより間抜けだが)。その背後では、不具を装う者たちが無気味に徘徊している。

Tentative d'enlèvement

 エスメラルダを攫うべく下りてくるカジモド。気付いたエスメラルダは逃げるが、カジモドが追う。しかし警邏をしていたフェビュスたちに発見され、カジモドは捕まってしまう。エスメラルダを捕らえたかと思えば、当然のように逢い引きの約束を取り付けて去るフェビュスと、静かに彼に惹かれていく(と思しき)エスメラルダ。

La Cour des miracles

 コンセプト・アルバムでの邦題は「奇跡の巣窟」、手持ちの辞書では「奇跡小路」である。字幕は単に "den of thieves" となっているのだが、昼間は物乞いなどのため不具を装い夜になると治って暗躍する泥棒や浮浪者たちの巣窟をこう呼んだものらしい。

 不具を装っていた者たちが飛び起きて踊り始める。宙に釣り下げられた鉄筋のようなものに座っているクロパン。迷い込んだグランゴワールは彼らに捕らえられ、絞首刑にされかける。彼らの仲間の女が夫にするというならば別だが。エスメラルダは彼を助けるため夫にすることを申し出る。この三文詩人("poète de quatre sous" フランス語だと四文詩人のようだ 笑)を夫にしようと言うのか! などと嘲りながらも、与えてやるクロパン。いいの?

Le Mot Phœbus

 そんなわけで、狂言回しなのにヒロインと結婚してしまうグランゴワール、自称"prince des rues de Paris"「パリのストリートの王子様」は、それなりに乗り気になったらしく「もしも君が望むなら」と口説いてみたりもする。だがエスメラルダの心はそこにはなく、「フェビュス」という言葉の意味を詩人であるグランゴワールに訊ねた。知識をひけらかしたいタイプ(?)であるグランゴワールは得意そうにそれはラテン語で太陽というんだ、と教えるのだった。(手持ちの羅和辞典によると、"Phoebus"とは太陽神アポロの意)

Beau comme le soleil

 フェビュスという言葉は太陽という意味だと知ったエスメラルダが、彼に惹かれてゆく気持ちを歌う。一方で、フルール=ド=リスもまた彼への想いを歌い上げるのだった。エスメラルダは「きっと王子様じゃないかしら」と夢想し、憧れている。フルール=ド=リスは「品行は悪いくせに王様の兵士」である彼に逆らいがたい魅力を感じている。それぞれに違う視点から、彼は自分を愛してくれるだろうか、と歌う。エスメラルダも良いけれど、些か屈折した愛情を抱え込んでいるようなフルール=ド=リスがとても可愛い。(客観的に見ると、あんな男はやめておけ! と思うところだが……)

Déchiré

 二人の女性の狭間で苦悩するフェビュス。原作のフェビュスは心底浮気者でどちらへの愛情も一過性、逢っている相手の名前さえも間違えるほどだが、こちらは一応は深刻に悩んでいるようではある。……が、"ノーン!" と微妙にヘタレた声で叫んでいるのがやっぱり悩んでいる己に自己陶酔しているだけなのか、とも思わせ(笑)、どうしても個人的に笑えるシーン。背後では裸のマッチョダンサーがひたすら踊っている。男の欲望を表現しているのだろうか。これも何だか相乗効果で可笑しい。

Anarkia

 弟子であるグランゴワールにエスメラルダのことを訊ねるフロロ。あれは私の妻で、ジプシーの王に貰ったのです、と平然と答えるグランゴワールに血相を変えて怒るフロロ。原作で重要な意味を持つ、壁に書かれたギリシア語 "ANARKIA"(ΑΝΑΓΚΗ=宿命)の文字が登場するのもこのシーン(ミュージカルでは、フロロが書いたというわけではないようだが)。

A boire

 エスメラルダを攫った廉で(?)捕らえられているカジモド。巨大な車輪のようなものに縛られている。傍らで白々しく祈るフロロ。渇いているカジモドにエスメラルダは水を与えた。漸く降ろされたカジモドは «Belle...!»「美しい」と呟く。

Belle

 これもシングルカットされたらしい名曲で、シーンに入ると拍手が起きている。カジモド、続いてフロロ、最後にフェビュスがそれぞれにまったく異なるエスメラルダへの愛と欲望を歌いあげる。「ああルシフェルよ、たった一度だけ、この指をエスメラルダの髪にすべり込ませるがままにさせてくれ」。「ああ聖母マリアよ、たった一度だけ、エスメラルダの園の扉を押すがままにさせてください」。「ああフルール=ド=リス(この名前は「百合の花」という意)、僕は不誠実な男だ。僕はエスメラルダの愛の花を摘みにゆくだろう」。"Laisse-moi rien qu'une fois"、"Je ne suis pas homme de foi"、と韻を踏んでいるようだが、内容の方はといえば、何だかフェビュス一人そこはかとなくズレているのは気のせい? フルール=ド=リスはじっと沈鬱な表情で俯いてしまうのだが、「ああフルール=ド=リス」ではっと顔を上げる。しかしそれは裏切りの言葉でしかない。しかしその後、ならず者たちに絡まれたフルール=ド=リスをフェビュスが庇う(これが何を表現しているのか不明)。最後には美しい重唱になる。三人の視線の先では、舞台の縁にエスメラルダが仰向けに眠るように横たわっている。このように、現実にそこで起きていることのみならず象徴的なイメージを表現し、ときにそれが重なり合ってゆくのも、この作品の特徴だろうか。

Ma maison, c'est ta maison

 エスメラルダをノートル=ダムへ連れてゆくカジモド。(何故いつのまに? ちょっとこのあたりも不明)ノートル=ダムを住処とし、ノートル=ダムと融合しているようなカジモドという青年。エスメラルダはその醜貌に怯えながらも、少しずつ親しみを覚えていく。「俺の家、もしも君が望むなら、それは君の家」「あなたの家、もしもあたしが望むなら、それはあたしの家」。この作品中には珍しい、ほのぼのとしたデュエットになっていく。

Ave Maria païen

 ノートル=ダムでエスメラルダがひとり祈っている。«Ave Maria, Pardonne-moi. Si devant toi, Je me tiens debout.»「アヴェ・マリア、お許しください。あなたの御前だというのに立ったまま、跪くことを知らない私を」«Ave Maria, Ecoute-moi. Fais tomber les barrières entre nous qui sommes tous des frères.»「アヴェ・マリア、祈りをお聞きください。みな兄弟であるはずのあたしたちの間にある障壁を、どうか取り払ってください」。その姿を、フロロがじっと見つめていた。

Je sens ma vie qui bascule

 フロロは聖職者として清廉に生きてきた自分の人生が、今エスメラルダへの愛によって狂わされてゆくのを感じていた。そのまま次のナンバーへと繋がる。

Tu vas me détruire

 フロロの苦悩の独白。«Tu vas me détruire. Tu vas me détruire. Et je vais te maudire jusqu'à la fin de ma vie.»「おまえは私を破滅させる、おまえは私を破滅させる、私の生の終わりまで、私はおまえを呪うだろう」。左右からゆっくりと彼を押し潰してゆくかのような壁を、両手で払いのける。その向こうでは、気づかないエスメラルダが脚を洗ったりしている。フロロはその姿を壁の影から眺め、また目を背けたりと葛藤。やがて眠ってしまったエスメラルダの傍の傍らで複雑な表情で見つめ、触れそうで触れられない。(最後はその腕を取っている?)

L'Ombre

 逢い引きに出かけるフェビュスを、僧衣の人影が追う。シルエットが彼らの間にある幕一面に映し出され、無気味さを醸しだす。お前は誰だ、と叫ぶフェビュスに影は答える。«Je suis ta conscience.»「私はおまえの良心だ」。影にここから離れるよう勧告されるも、フェビュスは従わない。正体を隠したこの影は、もちろんフロロである。

Le Val d'amour

 舞台は『愛の谷』の娼婦宿(?)に導かれる。絡み合いながら踊るセクシーなダンサーたち。語り部はグランゴワール。歌のノリはいいが、色事に興味がなさそうな彼、一時のチープな享楽を求める人々を皮肉っているような印象。やがてフェビュスがやってくる。こちらは日ごろからの常連のようである。

La Volupté

 きらびやかなシーンから一転、ベッドがあるだけのシンプルな一室。エスメラルダとフェビュスが愛を告げあう。かれらが抱き合おうとしたとき、エスメラルダがいつも身につけていたナイフを手に取ったフロロが背後から、フェビュスに襲いかかる。ここでも大きな僧衣のシルエットが映し出される。ベッドに倒れたフェビュスに取りすがるエスメラルダ。

Fatalité

 グランゴワールが「宿命」を歌い上げる、一幕の終わり。«Fatalité, Tu tiens nos vies dans ta main.»「宿命よ、おまえはその手の中に我々の生を握っている」。倒れているフェビュスとその傍らのエスメラルダと並んで、フロロ、クロパン、カジモド、フルール=ド=リス、と主要人物が揃っての重唱。少しずつ離れた位置でそれぞれにじっとスポットライトを浴びて彫像のように浮かび上がる演出となっている。