Javert's Suicide

— Does he know That granting me my life today This man has killed me even so? —

 セーヌ川の急流に身を投げて死んでゆくジャベール。彼に関して最も重要であり難解な場面。何故彼は命を絶ったのか? その真意については様々な解釈が可能であり、なかなか解答は見いだせない。

 実際にミュージカルの舞台を観たときにも、演じる役者によってジャベールの死に対する解釈が少しずつ違うような気がした。それは、いずれが正しいというものではない。原作においてヴィクトル・ユゴーの定めた答えはあるのかもしれないが、文学とはある一面で「作者」を超越するものであるし、原作を下敷きにしてはいるものの独立した作品である舞台についてはなおさらだろう。

 当初、ジャベールという人間は、その信念、精神が崩壊させられたがゆえに半ば発作的に死の道を辿ったのか、と思っていた。「心が乱れる!」という歌詞は鮮烈だった。原作に拠れば、

 数時間前から既にジャヴェルの考えは単純でなくなっていた。彼の心は乱されていた。その一徹な澄み切った頭脳は、透明さを失っていた。その水晶のごとき澄明さのうちには、一片の雲がかけていた。ジャヴェルは自分の本心のうちに義務が二分したのを感じ、自らそれをごまかすことができなかった。

ユーゴー、豊島与志雄訳『レ・ミゼラブル(四)』(岩波文庫)

 ということになる。原作の死はむしろ静かだが、叫ぶように歌い上げて死んでゆく舞台は実際、劇的だった。

 彼は親切というものの世に存在することを認めざるを得なかった。あの囚人は親切であった。そして彼自身も、不思議なことではあるが、先刻親切な行ないをなしてきた。彼は変性したのだった。

ユーゴー、豊島与志雄訳『レ・ミゼラブル(四)』(岩波文庫)

 とある。「彼は変性したのだった」。ジャン・ヴァルジャンは変性することによって新たな生を選び、生きた。だがジャベールは、変性することによって死んでゆくのだ。舞台において同じ旋律・同じフレーズがモチーフとなりながら、対照的である彼らの生と死。

I'll escape now from the world
From the world of Jean Valjean.

Les Misérables - The Complete Symphonic Recording

 日本語版では「逃れたい早く ジャン・バルジャンの世界を」。「逃れたい」となっているが、ここはもう少し強く「この世界から消えよう」という意志であるのかもしれない。英語版では歌詞も「ヴァルジャンの独白」部分と全く同じフレーズとなる。「ジャン・ヴァルジャンの世界」。ヴァルジャンの独白においてそれは罪という過去の世界だったが、ジャベールにおいては原作の言葉でいうところの「いまだ知らなかった道徳の太陽」の上る、いまやまさに訪れようとしている世界だった。

 原作においてのジャベールは、舞台ほどジャン・ヴァルジャンを追うことのみに終始しているわけではないが、彼にとってここでのジャン・ヴァルジャンは、単なる一個人を超越した、象徴的な存在として浮かび上がる。「神聖なる徒刑囚」、「人間よりも天使に近い徒刑囚」。

 きびしい状態があるとすれば、それこそまさにきびしい状態であった。それから脱する道は二つしかなかった。一つは、決然としてジャン・ヴァルジャンに向かって進んでゆき、徒刑囚たる彼を地牢に返納すること。今一つは……。

ユーゴー、豊島与志雄訳『レ・ミゼラブル(四)』(岩波文庫)

 原作でのジャベールは、死の前に分署へ戻り、「一つの句読点をも略さず、紙に確かなペンの音を立てながら、最も冷静正確な手跡で」囚人への待遇の改善などを記した意見書を書き残す。そして再びセーヌ川の岸に戻ると、やがて影のような静けさでその深淵へと落ちてゆく。

 "There is nowhere I can turn. There is no way to go on." —劇中のジャベールは、いずれへともゆけない絶望の狭間に、道ならぬ道として死を選ばざるを得なかった、とも見える。だが原作を見ていると、「脱する道」のひとつを、彼は自ら選び取ったのかと思えるのである。道はない。その瓦解と虚無の中に選び取ったのが、死という道だったのかもしれない。原作における彼の死についてはいずれ別項で。