Les Misérables (Tom Hooper, 2012)

— To love another person is to see the face of God. —

映画『レ・ミゼラブル』(2012 イギリス)トム・フーパー監督

"Les Misérables" Tom Hooper / 2012

映画『レ・ミゼラブル』2012年 イギリス
トム・フーパー監督、ヒュー・ジャックマン主演

ミュージカル版レ・ミゼラブルがついに映画化したということで、数年ぶりに更新してみることに。映画自体は公開翌日から何度かそれぞれ別の映画館に観に行ったのだが、感想をまとめるのが遅くなり、今さらな感じになってしまったけど……。

映画俳優が演じるということで、歌えないんじゃないか、という先入観があり期待していなかったのだが、蓋を開けてびっくり。惜しい点もあるとはいえ、これほど素晴らしい・好みな作品になるとは思わなかった。なにより舞台版では描ききれていなかった原作のエピソードを多々入れてくれたのが本当にうれしい。

以下、純粋に映画に対する感想というよりは、原作ファンの戯れ言です。完全にネタバレ。

個人的評価

映像 :
音楽 :
キャスト :
エンタメ性 :
雰囲気 :
物語の解釈 :
原作に忠実度 :

キャスト

JEAN VALJEAN : Hugh Jackman
JAVERT : Russell Crowe
FANTINE : Anne Hathaway
COSETTE : Amanda Seyfried
THÉNARDIER : Sacha Baron Cohen
M.THÉNARDIER : Helena Bonham Carter
MARIUS : Eddie Redmayne
ENJOLRAS : Aaron Tveit
ÉPONINE : Samantha Barks
GAVROCHE : Daniel Huttlestone
L.COSETTE : Isabelle Allen
BISHOP : Colm Wilkinson
FOREMAN : Michael Jibson
FACTORY WOMAN 1 : Kate Fleetwood
GILLENORMAND : Patrick Godfrey
COMBEFERRE : Killian Donnelly
COURFEYRAC : Fra Fee
FEUILLY : Gabriel Vick
GRANTAIRE : George Blagden
LESGLES : Stuart Neal
ARMY OFFICER : Hadley Fraser
アンサンブル

はお気に入り度

※判定できるほど見分けられなかった人は省略

キャスト雑感

ジャン・バルジャン: Hugh Jackman(ヒュー・ジャックマン)

素晴らしい。この映画のキャストの中でも最も素晴らしく、この人がジャン・バルジャンで本当に良かったと思う。本文参照。

ジャベール: Russell Crowe(ラッセル・クロウ)

柔らかい声質といいヴィジュアルといい、ジャベールらしい厳めしさや神経質さが足りないのも好みでないが、最大の問題点は、棒読みならぬ棒歌。バルジャン等の主要キャストが演技重視の語るような歌い方なのに対し、普通に譜面どおり歌っているため、とにかく違和感がある。さらに歌い方にキレがなく、スパイ報告シーンや自殺の冒頭などリズミカルな歌も苦しい。本文参照で、演じている側の人物解釈も私には合わなかった。

ファンティーヌ: Anne Hathaway(アン・ハサウェイ)

美しい! 次元の違う美人度に、画面にいるだけで感動するのはともかくとして、舞台では大人っぽく描かれがちな中、清純でかわいい路線のファンティーヌなのがとても嬉しい。金髪でないのは惜しいが。美しいだけではなく窶れていく様も見事。やや声量不足を感じるものの、雰囲気でカバー。"I dreamed a dream" での鬼気迫る演技は圧巻。

コゼット: Amanda Seyfried(アマンダ・サイフリッド)

とにかくヴィジュアルがかわいい、声もかわいい。演技面でこれぞという見せ場のないキャラではあるが、存在感が素晴らしい。やや声が細めで、高音はハラハラするところもあったが許容範囲。

テナルディエ: Sacha Baron Cohen(サシャ・バロン・コーエン)

容貌がキャラのイメージに合わないのはともかくとして、テナルディエという人物を演じることよりも演者本人の個性を押し出すことに終始しているように見えて世界観から浮いており、さらに歌も演技も巧くなく、全登場人物中で最悪。コメディリリーフとしても滑っている感じで理解できないキャスティングだったが、笑いのツボが違うのだろうか。

テナルディエの妻: Helena Bonham Carter(ヘレナ・ボナム・カーター)

夫に比べると演技力が高いように感じてしまうが、単独でみれば凡庸で、特筆すべき良さがあるわけでもない。やはり容貌や声がイメージに合わない。

マリウス: Eddie Redmayne(エディ・レッドメイン)

純粋で人好きのする雰囲気の、実に嫌味のないマリウス。逆に言えばもう少し癖があってもよかったかも。歌唱力と演技力のバランスも良い。しかし注目すべきは、コゼットと出会う前の最初の一瞬だけのシーン。別人かと思うほどかっこよく、あの柔和で夢見る雰囲気も演技の力なのかと思うとすごい。

アンジョルラス: Aaron Tveit(アーロン・トヴェイト)

舞台版のスタンダードとは一線を画する原作寄りのキャラ造形がとても好み。アーロン・トヴェイトはこの役を演じるにあたって短縮版ではないフルバージョンの原作を読んだそうだが(参照:Q&A: Caught in the Act with… Aaron Tveit)、髪型など、容貌も原作イメージに近づけており、さすがにあの美貌の再現は不可能だがそれなりには美形だし、演技によってカリスマ感がよく出ている。指導者の葛藤や孤独を垣間見せる、ある意味では人間らしく、青年らしいアンジョルラス。上品な声質で技術的には完璧だったが、もう少し浮世離れしたクラシカルな声の方が理想かも。

エポニーヌ: Samantha Barks(サマンサ・バークス)

映画化にあたってエポニーヌの立ち位置がやや地味になってはいるものの、圧倒的な歌唱力で充分な存在感を放つ。バルジャンやファンティーヌが演技方面に特化して強烈な印象を残すため、比べるとやや地味だが、逆にいえば主要キャスト中でも最も安定感があり「歌による演技」の模範のようなイメージ。もちろん舞台とは異なるアプローチで、ちゃんと映画向けの演技・歌唱をしている。強いていえば、もう少し不健康的に痩せている方がエポニーヌらしいが、気になるほどではない。

ガブローシュ: Daniel Huttlestone(ダニエル・ハトルストーン)

容貌やキャラ作りが可愛い系なため、子供でありながら誰よりも老成した精神を持ち、哲学的な皮肉屋であるはずのガブローシュの魅力が活かされていない気がして、好みでなかった。"General Lamarque is dead!" はもっと劇的に言ってほしかったな。

リトル・コゼット: Isabelle Allen(イザベル・アレン)

ソロナンバーは非常に素晴らしく、容貌も雰囲気があるが、その他のシーンでの表情による演技がややわざとらしいのが惜しい。

司教: Colm Wilkinson(コルム・ウィルキンソン)

最初は実は、似合わないなあと思ったのだが、似合う・似合わないを超越して、舞台のジャン・バルジャンオリジナルキャストである彼がミリエル司教になるということ自体の、メタ的な意義に感動するようになってしまった。歌はもちろん素晴らしいし、最後の登場は涙なしには見られない。

工場長: Michael Jibson(マイケル・ジブソン)

何気にとても素晴らしい。良い感じに気持ち悪く、良い感じにかっこいい。

工場の女 1: Kate Fleetwood(ケイト・フリートウッド)

その他の脇役も実力派ばかりで素晴らしいが、特にこの人は工場長に詰め寄るところをはじめとして、歌といい表情といい強烈なインパクトを残す。囁くように歌う、というのも映画ならではだろうか。

ジルノルマン: Patrick Godfrey(パトリック・ゴドフリー)

舞台では存在が省かれていたジルノルマン氏が登場したこと自体に感動してしまった。服装がもっと懐古調でもいい気がするが。

コンブフェール: Killian Donnelly(キリアン・ドネリー)

台詞が削られており、鑑賞三度目まで誰がコンブフェールなのか判別できなかったほどだが、よく見ると細かい演技が素晴らしく、学生の中でも存在感がある。原作のイメージよりはやや感情的だが、クールさよりも優しさを前面に出している雰囲気。

クールフェラック: Fra Fee(フラ・フィー)

やはり台詞は少ないが、学生の中では目立つ。ガブローシュと仲がよい設定らしい。面倒見のいい雰囲気はいいのだが、真面目そうなので、もう少しチャラい(?)ほうが良かった。

フイイ: Gabriel Vick(ガブリエル・ヴィック)

"Red and Black" の最後に、Let us take to the street〜 を歌ってた人はフイイ?(脚本ではStudentとしか書かれておらず、原作準拠ならフイイは学生ではないが……)一応そうと仮定しての感想だけど声が一番好みだった。

グランテール: George Blagden(ジョージ・ブラグデン)

他の学生に比べれば台詞が残っている上、行動が特徴的なので、アンジョルラス以外のABCの友の中では唯一初見で判別できる。グランテールにしては容姿や声が二枚目すぎるし年齢も若すぎる気がするものの、独特の演技が魅力的で、こんなグランテールもありだ! と思わせられてしまう。とりあえず、目力がすごい。笑

レーグル: Stuart Neal(スチュアート・ニール)

髪がある……!

将校: Hadley Fraser(ハドリー・フレイザー)

朗々とした美声と細やかな表情によって、従来はただの敵としてしか描かれなかった政府軍もまた感情を持った人間であるということを描くキーになっていて素晴らしかった。なおハドリー・フレイザーの名前は知っていたが見たことはなかったので、全くそうとは気付かずに見ていた。

時系列雑感

 記憶違いもあるだろうが、とりあえず大雑把に時系列の感想。なお、ところどころで言及している「脚本」はこれのこと(検索で発見したのでリンク元が見つけられなかったが、このファイル自体はUniversal Pictures関連のサーバー上にある)。

序盤

 実はこの映画を観るまで何年もミュージカル版レミゼからは遠ざかっていたのだが、冒頭のイントロが響きわたった瞬間から、すでに鳥肌が立った。船のシーンのスケール感に感激し、囚人たちの迫力にドキドキし、そしてジャベールが妙にふんわりした声で歌い出した瞬間、えっ……とは思ったものの、この時点ではまあこんなものか、ミュージカル俳優じゃないしな、くらいに思っていた。この場面でマストを持ち上げさせることでバルジャンの怪力を表現していたのが、いかにも後にフォーシュルヴァンを助ける場面の伏線とわかるが、話のわかりやすさという点では良かったと思う。ジャベールの意図としては謎な気もするが。

 釈放されたバルジャンが歩く山道の朝日は、映画ならではのリアルな美しさ。全編歌で表現されるオペラ形式が好きなので、随所に台詞が挿入されているのが残念な気がしたが、何度か見ていると気にならなくなり、むしろ舞台より話がわかりやすくなっていて良いようにも思えてきた。バルジャンのヒュー・ジャックマンは、ミュージカル出身(?)の人とは知らなかったので、思いのほか歌も巧いんだなー、などと思っていたところ、 "Valjean's Soliloquy" で唖然となる。これはやばい! 素晴らしすぎる! 映画としてはとくに凝った図でもなく、ただひたすらバルジャンがうろうろしながら独白するだけなのに、とにかく圧倒される。この映画で、敢えて一番素晴らしいシーンを選ぶならここだと思う。バルジャンがものすごい形相で破り捨てた仮出獄許可証が空に舞い上がり、そこから視点は天高く駆け上がっていき、時代が移り変わって、馬で駆けるジャベールのところまで急降下してくる。こういう撮り方が他にも出てきたが、リアルさと作りものっぽさが奇妙に混在している不思議な感じで好きだった。

モントルイユ時代

 元々大好きな "At the end of the day" ではアンサンブルの素晴らしさに感動。街の猥雑さ、民衆のぎらぎらした目つきに圧倒される。この映画、とにかく圧倒されっぱなしで息つく暇がない。強いて言えばやや退屈なのはテナルディエの宿くらいで。工場のシーンも画面構成が素晴らしかった。皆が作業着を脱ぐと、ファンティーヌだけ華やかなピンクの服でひときわ目立つのも良い。最初に見たときには、初登場の主要人物が歌い出すたびに(歌唱力的な意味で)ドキドキしたが、ファンティーヌもやや声が細いとはいえ歌が巧くてびっくり。周りの女工たちの迫力には負けている気がしたが、キャラ的にはそれでいい場面だろう。そして、ここでバルジャンとジャベールのやりとりが詳しく描かれているのにも驚いた。ジャベールのシーンが増えるのは嬉しいが、どうしても技量面が気になる……。

 "Lovely lady" の娼婦の中に、エポニーヌのオリジナルキャストのFrances Ruffelleがいたらしいが、顔をよく知らないこともあって発見できなかった。舞台にはなかった(?)ファンティーヌが歯を売るシーンの追加は、視覚的に身構えてしまったが、アップじゃなかったので助かった……。 "I dreamed a dream" が、身を売って絶望の中で歌われるという構成は、効果的だと思う。とにかくこの場面のアン・ハサウェイの演技は強烈すぎた。私は元来この曲はあまり好きでなく、舞台では唯一眠いと感じたことのある曲だったのだが、はじめて最初から最後まで目と耳が釘付けになった。逮捕されそうになるくだりも、バマタボアが雪玉を入れるなどの細かい演出にいちいち感動。ファンティーヌの痩せ細った姿は視覚的にも強烈で、映画俳優ならではの凄味を感じた。しかし、市長に唾を吐いたファンティーヌを部下の警官が止めようとしたときに、ジャベールが制していたのはどういう理由なんだろう? どうも、行動に謎の多いジャベールである。

 それはともかく、誤って市長を告発したと思い込んだジャベールが辞職を願い出るシーンがあって嬉しい!(たぶん舞台版ではこのシーンはなかった気がするのだが)。他人に対しても自分に対しても厳しい、決して過ちを許さないというジャベールの姿勢がよくわかる重要なエピソードである。その後のバルジャンの葛藤 "Who am I?" では、舞台ではむしろ歌い上げる箇所というイメージのある "I'm Jean Valjean." を囁くように表現していたのが新鮮。全編歌形式が好きであると同時に、それを「台詞的に歌う」というのが大好きなので、こういうのはもう無条件にぞくぞくしてしまう。

 ファンティーヌは死に様も素晴らしい。ミュージカル(ポップ・オペラと言いたいが)である以上、死にかけていても台詞の表現は「歌」になるわけで、そこに現実味を持たせることはかなり難しいが、見事に不自然さがない。弱い歌声や囁くような歌声も可能となる、映像ならではの特権もあるだろう。また、通常ミュージカル映画では歌は別録りするところを、演じながらその場で歌う手法をとったということで、ミュージカル映画に疎い私はそれが斬新なことであるとは知らずに見ていたのだが、改めて思い返してみると随所に感じるこのリアリティは、ライブ録音ならではだったのかもしれない。

 バルジャンとジャベールの "Confrontation" は、舞台以上に派手に戦っていて熱い! ジャベールが率先して剣を抜き、しかも優勢に立っていてびっくり。一部バルジャンのパートが削減され、二人の "Javert!" という音が重なるところはなくなってしまっている(サントラでも確認した)。これは、ジャベールの生い立ちに纏わる台詞を聞き取りやすくしたのかもしれない。さらには歌の途中でバルジャンが窓から夜の海に飛び込んで逃げ、 "This I swear to you tonight〜" 以降の部分がないままに終わるという、大胆なカットにはびっくりしたが、確かにこの最後の部分は目の前の対決相手そっちのけで各自の心中の誓いをユニゾンするという、舞台ならではの表現で、映画としては続けると不自然になるのかもしれない……。と、思っていたのだが、脚本によると本来その部分は、逃げるバルジャンと追うジャベールを別々の視点で描きながら続く予定だったらしい。それ見たかったなー。

モンフェルメイユ〜逃走

 テナルディエの宿は、汚さがリアルで気持ち悪くなるほど。キャスト雑感参照で、テナルディエ夫妻・とりわけ夫が非常に好みとかけ離れているのが残念。サンタクロースのエピソードも必要性がわからない。まあ、クリスマスの日だったということはわかるが。リトル・コゼットは素晴らしい。 "Cosette, I love you very much." のところを囁くように歌っていたのも好き。森でバルジャンと出会うシーンも歌が増えていたり、人形のエピソードが増えていたり、感動するポイントは多いのに、テナルディエのくだらないネタ的な演技で台無しにされる感が本当に残念すぎる……。

 その不満はさておき、映画化に際しての変更でなにより素晴らしいと思ったのは、バルジャンがコゼットと共に新しい人生を踏み出すエピソードの大幅強化である。新曲 "Suddenly" は、音楽としては最初はそれほど強い印象を残さなかったが(というか、大きな新曲が追加されているとは全く知らなかったので、まずそのことに驚いた)、いかにもシェーンベルク節という感じの旋律は美しいし他の曲とも自然に馴染んでおり、サントラで何度も聴いているうちにとても好きになってきた。なにより、舞台ではバルジャンがコゼットに対して非常に深い、原作でいうところの「あらゆる愛情」を抱いていく過程があまりわからなかったのが、このシーンが織り込まれたことによってしっかり伝わってくるようになったのに感動する。さらに、この新曲はむしろ終盤のリプライズで真に活きてくると思う。

 その後ジャベールから逃げて修道院に飛び込むまでのアクションシーンがあるのも良かった。馬で駆けるジャベールがなんともかっこいい! と、いうかそれでもなおバルジャンに追いつけないところがジャベールらしくて良い。剣を抜こうと素手(棒だが)のバルジャンに負け、馬で追おうと徒歩で逃げるバルジャンに負ける、あれほど大真面目で一所懸命なのにいつでも出し抜かれる、それでこそジャベール! 歌い出すとどうにも残念感が拭えないが、歌のないシーンは安心して見ていられる……。逆に、修道院で再会するバルジャンとフォーシュルヴァンとの会話は、すべて歌にしてほしかった気がするな。そこだけ唐突に歌い出すようで妙に違和感があったので。

"Stars"

 このあたりでジャベールのソロナンバー "Stars" となり、「くるぞ……」といういろいろな意味での覚悟を持って見入ったが、冒頭からあまりにふわふわした歌い方に拍子抜けし、 "with order and light〜" というところの歌い方が可愛らしすぎて心の中で噴き出す。最後が、また空に上っていって時代が変わる演出になっていて、通常の意味での曲の余韻がないのはむしろ助かったが、しかし "Stars" はもっとジャベールの傲然とした雰囲気を表現してもらわなければ困る! 妙に建物の縁ギリギリを歩いているのは、自殺のシーンの伏線なのだろうとはわかるものの、この時点のジャベールは、逆に堂々と胸を張って彼の信じる「神の道」の中央を歩いていなければおかしいのではないだろうか? ここで頑なな強さを見せておかなければ、信念が転覆する際のコントラストも弱くなってしまう。フーパー監督のインタビュー記事「レ・ミゼラブル : トム・フーパー監督に聞く」によるとこれはラッセル・クロウの発案らしいが、意味のわからない演出である。ジャベールは、自己の正義・信念を頑ななまでに貫きとおそうとした冷徹な人物であるはずなのに、この映画のジャベールは演技と声質の相乗効果で、柔和でふらふらとした、心の弱い人間のように見える。確かに、生き方として危ういところはあるのだが、それは少なくともこの時点で端から見て取れるような類の危うさではないと思うのだ。

パリ時代

 そしていよいよ舞台は1832年のパリへ。ここでもやはり民衆アンサンブルに圧倒される。ガブローシュは、キャスト雑感参照で原作イメージには合わない気がするのだが、舞台以上に存在感ある人物になっている。原作で彼がねぐらにしていたバスチーユの象から出てくるのにも感動するが、お菓子を盗んでいくシーンや、施しで食べているという台詞(これは映画以前の問題だが)は、どうなんだろう。原作の彼は、なけなしのお金で買ったパンをより幼い子たちに与えるなど、苦しい生活の中でもむやみに物を盗んだりしないし、他人の慈悲をあてにしたりもしない人物のイメージ(盗むにしても、悪党のモンパルナスにバルジャンが与えた財布を掏り取ってそれを貧しいマブーフ氏に与える義賊だったりする)なのだが。それはともかく、 "Look down" 後半のソロパートの歌詞が変更され、印象深いものになっていた。脚本から引用。

There was a time we killed the King
We tried to change the world too fast.
Now we have got another King,
He is no better than the last.
This is the land that fought for liberty -
Now when we fight we fight for bread!
Here is the thing about equality -
Everyone’s equal when they’re dead.
Take your place!
Take your chance!
Vive la France! Vive la France!

  "Vive la France! " (フランス万歳!)と叫ぶガブローシュはとてもかっこいい。なおこの部分、舞台版ではテナルディエ一家を客観的に紹介する歌詞で、その表現から血縁関係はなさそうだが、後述するようにこの映画のガブローシュは(裏設定的には)原作同様テナルディエの息子であるらしい。

 原作では重要人物だが舞台では出てこない、マリウスの母方の祖父・ジルノルマン氏の登場にはびっくり。登場自体は少なかったが、マリウスの背景がわかりやすくなっていることは重要。そして恋に落ちるマリウスとコゼットのシーンに素晴らしく説得力があった。マリウスのあまりに夢みるような表情に、笑いを堪えるのに必死……と思っていたら、初回を一緒に見た友達もそうだったらしい。笑

 "ABC Café" は原曲で好きだった部分が削られたせいか、ぶつ切り感が気になった。各学生たちの特徴的なソロが全部カットされていて、アンジョルラスのパートも短縮されている。おかげで誰が誰なのか判別がつかず、初回はアンジョルラスとマリウス以外では、グランテールくらいしか確信が持てなかった。そのグランテールも、名前を呼ばれるシーンがカットされているので、映画を見ただけでは役名すら判別できない状態。ここも、脚本では元の台詞がすべて存在するようなので、時間的な都合で削減されてしまったのだろう。判別がついてみると、コンブフェールが参謀然としていてかっこよかったりするのだが。コゼットのことを語るマリウスを諭すアンジョルラスの表情が新しい。マリウスの変心に素直に衝撃を受け、信じられない、という感情を隠せない感じの、ストイックでありつつ繊細な人間らしさもあるアンジョルラス。こういうキャラ造形も面白いと思った。グランテールの視線の演技も素晴らしい。この映画のグランテールは、ABCの友の中でかなり重要な位置付けのようだ。他の人の感想で気付いたのだが、衣装の基調が緑でアンジョルラスの赤と補色になっており、アンジョルラスの裏面という彼の存在を表現しているようで素敵。

 コゼットはとにかく、かわいい。やや歌は不安定と感じたが、何度か見ていると気にならなくなってきた。対照的に、バルジャンがやたらむさ苦しくなっているのは笑ったが……。コゼット・マリウスと孤独なエポニーヌの三重奏は、本来は多くの人がエポニーヌを贔屓してしまうであろうシーンだが(?)コゼットもマリウスもあまりにも無邪気な可愛さで憎めない。エポニーヌももちろん素晴らしいのだが。英国へ逃げることを知らされたコゼットの心境がはっきりと描かれているのもいい。(舞台でこのくだりがあったかどうかの記憶がない……)。それまでおとなしく微笑んでいるだけのキャラだったコゼットが、動揺しながら手紙を残しに門へと駆けていくところが、全編通しても最もかわいい! リボンを編み込んでいる髪型もかわいい! かわいい、しか言っていないが、かわいさこそがこのコゼットの最大の感動ポイントだと思う。

 そしてその手紙をエポニーヌが発見して、 "One my own" はこのタイミングで歌われていたかな……? 雨に打たれながら歌うのも映画ならでは。エポニーヌ役のサマンサ・バークスは舞台でもエポニーヌを演じていたようだが、25周年コンサート(私はそれまで見ていなくて、映画を観た後に初めて見た)と見比べると、映画向けに演技を変えているのがよくわかる。この曲も短縮されていたが、それでも素晴らしかった。

 最大の盛り上がりポイントのひとつであるはずの "One day more" は、意外と印象が薄かった。原曲の持つ素晴らしさはそのままあるのだが、それを超える映画ならではの驚きを期待してしまったのかも。舞台ではそれぞれ異なる場所で異なる事情を持つ主要人物たちが一斉に歌うことでひとつの大曲が完成する、という部分に感動するが、映画ではまず別々の場面に居るということがリアルになりすぎてしまい、さらに実際には別の画面であるためにそれぞれの歌が一体化するという印象が薄くなってしまっていた。どうであればもっと良かった、と具体的に思うわけではないのだが、これはやはり舞台でこそ映える曲なのかもしれない。

 そして、この部分だったと思うが、アンジョルラスが、ユシュルー夫人と思しき女性の手にキスをしていた意図が疑問。原作のアンジョルラスは、この後の暴動で勇敢な行動に出て命を落としたマブーフ老人の亡骸への敬意の口づけが、生涯二度だけのキスであった、というエピソードを持つ究極にストイックな人物なのに、なぜわざわざそれをぶち壊すような演出を入れたのだろうか? 随所に原作への愛が感じられるだけに却って疑問だし、アンジョルラスファンとしても残念。見間違いだと信じたかったが、同様の感想を多数見かけたので気のせいではないようである……。

暴動

  "One day more" で、一幕終わり! っていう気分になってしまうけれど当然映画なので幕間はない。ここでも舞台とは曲の順序が違い、ラマルク将軍の葬儀から暴動が勃発するシーンで "Do you hear the people sing?" が歌われる。この構成自体はとても素晴らしいと思うのだが、結果としてこの曲がアンジョルラス+民衆の合唱になったため、またしてもコンブフェールたちの特徴的なソロパートがなくなっており、ここでも学生たちは誰が誰だかわからないままだった。確かに、ABCの友の個々のキャラを描くことなど映画全体としてはあまり重要ではないだろう。とはいえ原作や舞台のファンにとっては思い入れのあるところでもあり、もう少しなんとか補ってほしかったな。

 バリケードが作られる過程が視覚的にわかるのは、映像ならではの良さ。士気の高まった市民たちが窓から投げて提供した家具がどんどん積み上げられていく。なおバリケードは、原作のコラント亭ではなく、最初に出てきたカフェ・ミュザンのところに作られていたが、話の流れとしてその方がわかりやすい。政府軍に誰何されたアンジョルラスが、「フランス革命だ!」と答えるシーンが入っていたのにも感動。作品の性質上、原作や舞台版を知っていると、ほとんどの場面で次の具体的な台詞まで予測できるわけで、その台詞がどんなふうに演じられるのか、と緊張しながら見てしまうのだが、アーロン・トヴェイトの演じるアンジョルラスは本当にあらゆる台詞が期待を裏切らない。決め台詞を見事に決めてくれる、という点においては全キャスト中でも一番素晴らしかった。そして、脚本はこの後マブーフ氏が旗を立て直しに行って撃たれる場面まで入れようとしていたらしい。マブーフ氏の出現が実現していれば、原作ファン感涙だったのに……! 非常に残念だが、やはり元々舞台版では出てこない人物だし、時間的にカット対象になってしまったのだろう。一応、役名としては存在しているようだが、どの人かはわからなかった。

 マリウスには、火薬の樽に松明を翳して政府軍を撃退する見せ場が追加されている。エポニーヌが密かにマリウスを庇って撃たれるシーンはかなり一瞬の出来事でわかりづらい気がしたので、もう少し目立たせてほしかったかも。エポニーヌの死に様は素晴らしかったが、演技面では他に強烈な印象を残す人が多すぎて、総合して思い返すとやや印象が薄め。アンジョルラスたちが「バリケードの最初の犠牲者だ」と語る歌はなかったが、その後、死を覚悟したマリウスがコゼットへの手紙をガブローシュに託し、それがバルジャンの手に渡ってバルジャンがバリケードにやってくるという、舞台とは異なるが原作と同じ展開になっていた。最初に見た時点では舞台版の記憶が曖昧だったため、あまり気付かずに見ていたが、この点でも舞台よりエポニーヌの出番が減り、ガブローシュの出番が増えていたことになる。脚本では、エポニーヌの死の後、ガブローシュが自分の姉だったとクールフェラックに明かす台詞があったようだ。実際にはカットされてしまったが、この映画でのガブローシュは原作同様テナルディエの息子という設定らしい(モンフェルメイユのテナルディエの宿で、一瞬籠に入った赤ん坊が出てきていたような気もする)。

 ここでも、ジャベールがひっかかる。中でも一番首を傾げたのが、スパイとして偽報告をしにくる "Listen my friend〜" のところ。リズムにキレがなく、なんともテンポが落ち着かない。歌はまあ仕方がないとしても、その後スパイだとばれて捕まる際に抵抗して逃げようとしたり項垂れるように縛られたり、まったく傲然とした雰囲気が感じられない……。逆に、ジャベールを殴り倒すアンジョルラスは凄味があって良かった。彼らの掲げる理想は、きれいごとばかりでは実現しない、という覚悟を持っている雰囲気がよくでていた。

 一方、ガブローシュから手紙を受け取った後のバルジャンの動揺と決意が、短い歌の中でよく表現されていて感動。マリウスの文面を読み上げながら "love" という単語で思わず言葉を切る様子、マリウスの名前を読み上げる様子など、細かいところまで素晴らしい。

 アンジョルラスがバルジャンにジャベールを引き渡す際に、コンブフェールが懸命に止めようとしている意図が気になった。その後も、ジャベールを連行するバルジャンに意味深な視線を送っていたりして、バルジャンの真意を疑って警戒していたのだろうか? と思っていたが、原作のコンブフェールはアンジョルラスが敵の若い兵士を撃とうとするのを止めようとするエピソードがあったり、総じて人命尊重の立場を取っているので、そういう性格を表していたのだろうか? 対照的に、笑顔でバルジャンに銃を渡すガブローシュの容赦なさもかっこいい。

 バルジャンがジャベールを逃がすシーン自体は、ごく普通で……ジャベールファンとして最も重要なシーンのひとつのはずだが、正直、あまり印象に残っていないという……。

 "Drink with me" のグランテールのソロパートがカットされていたのが残念。すべてのカットの中でも最大級に残念! その代わり最初のパートを歌う役回りになっていたが。少し距離を置いてひとり佇んでいるアンジョルラスの表情が印象的だったので、ここでグランテールの、革命に倒れることに疑問を呈する台詞を入れてくれたほうが、アンジョルラスの心境を描く上でも良かったと思うのだが。

 "Bring him home" の祈りの最後から画面はふたたび天に上っていき、はるか上空から俯瞰した夜の街を映し出す。その市街を政府軍がバリケードに向けて行進してくる。画面にあまりリアリティはなかったが、天の神に語りかけるバルジャンの歌の余韻が、原作の(このサイトのタイトルにも拝借している)「梟の見下ろしたるパリー」という章を視覚化したかのような絵と相まって、とても印象的だった。

 夜が明けて、アンジョルラスが蜂起が失敗に終わったことを告げて皆が絶句する中で、ガブローシュが "Do you hear the people sing?" の一節を歌いだす。これも舞台にはなかった映画のオリジナルかな? ここでもガブローシュは印象的な存在になっており、死に際も鮮烈だったが、それ以上に政府軍将校の反応が印象的だった。舞台ではこの役は声のみで、個人としての顔の見えない敵の代表というイメージだったが、映画の将校は表情と声に感情がこもっており、自らの立場と葛藤しながら懸命に投降を呼び掛けているようで、政府軍側も同じ人間なのだということを認識させられる。 "Why throw your lives away?" という台詞に、暴徒とはいえ本心では命を奪いたくない、という感情を感じたのは初めてだった。先述のアンジョルラス役アーロン・トヴェイトのインタビューによると、フーパー監督は、アーロンと将校役のハドリー・フレイザーとに、君たちはこの戦闘においては対立する立場となってしまったが、かつては近しいところで共に育った存在かもしれないんだ、というようなことを語ったらしい。もしかするとこれは、原作での、下記の場面を踏まえているのではないだろうか。

「ともかくも第二発を防ごう。」とアンジョーラは言った。
 そして彼はカラビン銃を低く下げ、砲手長をねらった。砲手長はその時、砲尾の上に身をかがめて、照準を正しく定めていた。
 その砲手長はりっぱな砲兵軍曹で、年若く、金髪の、やさしい容貌の男だったが、恐怖すべき武器として完成するとともに、ついには戦争を絶滅すべきその武器に、ちょうどふさわしい怜悧な様子をしていた。
 アンジョーラのそばに立ってるコンブフェールは、その男をじっとながめていた。
「まったく遺憾なことだ!」とコンブフェールは言った。「こういう殺戮は実に恐ろしい。ああ国王がいなくなれば、戦いももうなくなるんだ。アンジョーラ、君はあの軍曹をねらっているが、どんな男かよくはわからないだろう。いいか、りっぱな青年だ、勇敢な男だ、思慮もあるらしい。若い砲兵は皆相当な教育を受けてる者どもだ。あの男には、父があり、母があり、家族があり、意中の女もあるかも知れない。多くて二十五歳より上ではない。君の兄弟かも知れないんだ。」
「僕の兄弟だ。」とアンジョーラは言った。
「そうだ、」とコンブフェールも言った、「また僕の兄弟でもある。殺すのはやめようじゃないか。」
「僕に任してくれ。なすべきことはなさなければならない。」
 そして一滴の涙が、アンジョーラの大理石のような頬を静かに流れた。
 と同時に、彼はカラビン銃の引き金を引いた。一閃の光がほとばしった。砲手長は二度ぐるぐると回り、腕を前方に差し出し、空気を求めてるように顔を上にあげたが、それから砲車の上に横ざまに倒れ、そのまま身動きもしなかった。背中がこちらに見えていたが、そのまんなかからまっすぐに血がほとばしり出ていた。弾は胸を貫いたのである。彼は死んでいた。
 彼を運び去って代わりの者を呼ばなけれはならなかった。かくて実際数分間の猶予が得られたのである。

ユーゴー、豊島与志雄訳『レ・ミゼラブル(四)』(岩波文庫)

 映画の将校は最終的にはコンブフェールやアンジョルラスを撃つ立場となり、ある意味、原作とは立場が入れ替わったともいえる。原作においてこの砲手長とコンブフェールあるいはアンジョルラスが実際に兄弟だったわけではないように、映画の将校も実際にアンジョルラスの知己だったというわけではないのではと思うが、方向性は真逆でありつつそれぞれに志を持った青年であり、殺し合う立場でありながら自分自身の鏡のような相手でもある、という意図を持って演じられていた結果として、政府軍もただ機械的に平然と暴動を鎮圧しているわけではなくそこには個々人の葛藤もあるという側面を感じさせてくれたのだろう。

 戦闘シーンのリアルさは映画ならではだった。拒否するように無言で窓を閉ざす市民、負傷者を助けながら店に逃げ込む学生たち、二階に上がって階段を斧で壊すアンジョルラス、階下から追ってくる兵士を瓶で攻撃する学生たち、と目まぐるしすぎて見落としも多そうだが、舞台版や、また従来の多くの映画でも描かれていなかった原作の場面がたくさんあって、ABCの友ファンとしては驚きと感動の連続。中でも一人生き残ったアンジョルラスのもとに、グランテールが現れて、言葉のやりとりこそないものの、共に撃たれるという展開には、「まさかこのエピソードを再現してくれるとは!!」と感銘を受けたファンが多かったはず! 脚本にはさらにグランテールの「共和万歳!」の台詞とアンジョルラスが微笑む場面まであり、本来この映画ではグランテールをかなり詳細に描こうとしていたことがわかる。結果としてはその名残があるという状態になってしまったが……。

 さらに、撃たれたアンジョルラスは後ろの窓から外に投げ出されて舞台の名場面までも再現する。さすがに少々強引な気がして、私はそもそも舞台版の死に方が好きでない(一番最後まで残り、立ったまま壁に釘付けにされて死ぬ、という原作の死に様に心惹かれるので)ため、どうせなら完全に原作仕様にしてほしかった、という気持ちはあるが、やはりミュージカル版の映画化である以上、求められるシーンだったのだろう。

 しかしこの映画のグランテール、このシーン以前から普通に結社の一員として暴動に参加しており(最終戦の場面ではちゃんと直前までカフェで寝ていたらしいが?)、バリケードを作るときも女性と遊んでいると見せかけてちゃっかり椅子を頂戴していく、得意げにジャベールを捕まえる、やってきたバルジャンを警戒して銃を突きつけるなど、やけに働き者なのである。先述のように "ABC Café" や "Drink with me" が大幅カットの憂き目に遭ったため、アンジョルラスに叱られる場面もひとり革命に疑問を抱く場面もカットされており、彼の特異な立ち位置はまったく作中では伝わらない。そのため、せっかくの最後の行動も、原作を知らなければ意義のわからない状態になってしまっているのは惜しいところ。

ジャベールの自殺

 戦いの後、死体を検分しているジャベールが、自分のつけていた勲章を外してガブローシュの胸につける。これは舞台にも原作にもないオリジナルシーンだが、多大な違和感を覚え、これは何を表しているのだろう? とひっかかって仕方がなかった。後に、先述のフーパー監督のインタビューを読んで、これもラッセル・クロウ自身のアイディアで挿入された場面らしいと知る。記事によると「ジャベールの心変わり、自分の心を徐々に解いていった証し」だというが、いかに心境の変化があろうと、ジャベールがまるで民衆の暴動を受け容れるかのような行動に出るものだろうか? そもそも明確に「心を解いていった」ということ自体、私の中でのジャベール像とは異なる。原作や舞台では、ジャベールの心境が変わるきっかけは、悪人であるはずのバルジャンが自分に慈悲を見せたことである。それにより彼は頑なに信じてきた善悪の価値観を超える現実をつきつけられるのであって、暴徒たちの革命思想に影響を受けるとは思えないわけだが、それにも拘わらずガブローシュを使うあたりに、子供を使えば感動してもらえるだろう、的な演出のあざとさとチープさを感じてしまい興ざめ。さらにガブローシュファンとしても不満。子供だからと特別扱いされるのは彼の不本意とするところだろうし、「フランス共和政府」の勇士として散った彼に王政政府の勲章を贈るのも皮肉な話である。総じてこの映画のジャベールとガブローシュの描き方は好みではなく、ふたりとも原作ではとりわけ好きな登場人物であるだけに、残念だった。

 脱線するが、どうやらこの柔和で不安定な、人間的な弱さを感じさせる描き方が、従来の映画等における悪役めいたジャベールのイメージの払拭には貢献しているようである。この映画の感想を読んでいると、「悪役のはずのジャベールに共感した」といった意見がみられる。が、そもそもジャベールは悪役どころか誰よりも真摯に敬虔に正義を目指した人なのであり、主人公を追う敵役であるからといって単純に悪役と見なすような描き方あるいは受け止め方自体が残念すぎるわけで、新しいジャベール像を描き出そうとした結果、本来の魅力や人格設定を損なってしまったとしか思えない。もちろん、この映画のジャベールを魅力的なキャラだと思う人も多いだろうし、私も全く魅力を感じないというわけではないのだが、そうだとしても私にとってはもはや自分の好きなジャベールとは異なる存在としてである。

 酷評しているジャベールだが、良いと思ったのは、下水道でバルジャンを逃がすところ。舞台版では明確にバルジャンを逃がす台詞があったが、それが無言になっており、ただ表情のみが彼の心境を伝える。これは、映画的な良さを活かしたシーンだったと思う。原作や舞台においては、ジャベールの「変化」を決定付けるのは、犯罪者として追わねばならないバルジャンを我知らず許してしまったことだった。しかしこの映画のジャベールはそれ以前に多大な揺らぎを見せているため、この場面の重要性は薄くなってしまっている気がする。

 "Stars" のあたりから既に不安定さを感じさせる人物像に描かれているせいで、私にとっては(死ぬ流れに説得力を持たせたかったらしい演者の意図とは真逆に)ここで死を選ぶ理由がいまひとつわからなかった。ただ、場面そのものは決して悪くなかったと思う。背後には曇天が広がり、 "Stars" で見上げて誓った星は、曇に覆われてもう見ることができない。こうした視覚的な演出は、映像ならではだろう。川の中に、原作で言及されている急流と思われる部分があったが、そのあたりにバキッという感じで叩きつけられていて、そこはせっかく映画なんだからもう少し絵面として美しく墜ちてくれても……と思ってしまった。最後の "There is no way to go on" は舞台では墜ちながら歌う印象があったが、歌い終えてから落ちていた。しかし、歌い上げるほどにどうも歌の技術面が気になるので、ここは敢えて囁くとか、もっと斬新な表現にしてもよかったのではないだろうか……。

 流れが前後するが、テナルディエの下水道でのソロ "Dog eats dog" が丸々カットされていたのが残念。テナルディエというキャラを描く上ではかなり致命的で、完全にただのコメディリリーフになっている。元々ミュージカル版のテナルディエの描かれ方があまり好きでない中で、あの場面だけは唯一好きだったのに……。それにしても、下水道の映像化がこうも恐ろしいとは! 不潔感のリアルさだけでいえばむしろテナルディエの宿の方が衝撃的だったが、下水道から出てきたバルジャンの、もはや目しか見えていない姿には驚いた。ジャベールはあれでよく見分けがついたものである。

エピローグまで

 "Turning" の女性たちが、舞台では暴動の虚しさや無情感を表現しているイメージだったが、ここでは歌詞も短縮されていて、もう少し同情的な感じをうけた。なお脚本ではこの場面に、アンジョルラスの母やグランテールの姉(妹)ら家族が遺体を探す姿があったり、祖父の元で目覚めるマリウスの場面に台詞があったりしたらしい。

 "Empty chairs at empty tables" は、演技(歌)だけをじっくり見せる簡素な演出が、却って良かった。特に、仲間の幻影などが出てこなかったのが良かったと思う。その後の "Every day" のシーンは、コゼット&マリウス+バルジャンという構図に加えてジルノルマン氏が出てきて歌い出したので、ちゃっかり参加してる! と思ってバルジャンの心境を思うと切ないシーンなのにも拘わらず、うけてしまった。笑

 マリウスに過去を告げた後、コゼットの元を去るバルジャンの流れで、ふたたび映画での新曲 "Suddenly" の旋律が出てくることで、コゼットと出会って人生を歩み出し、そのコゼットを失って生涯を終える、というバルジャンの心情がより伝わってくる。原作でのバルジャンとコゼットの強い関係、そして幸せな結婚生活を送りはじめたコゼットから遠ざかっていく状況の悲惨さなどを思うと、これでもまだ描写が足りないくらいだと思うが、それでも舞台版に比べるとかなり詳細になっているし、時間的には精一杯だろう。原作では、マリウスはバルジャンが(彼がジャベールを殺すためにバリケードへ来た、マドレーヌ市長を殺して財産を奪ったなどと勘違いしていたせいもあって)罪人であったという告白に恐怖を覚えて距離を置こうとするし、それを知らないコゼットも自らの幸福に夢中になって次第にバルジャンへの愛情が薄らいでいくが、映画ではバルジャンが自ら積極的に姿を消すという展開になっているのは、救いがあるところなのかもしれない。

 結婚式に乗り込んでくるテナルディエ夫妻が、招待客の馬車に便乗して出てくるシーンは、このテナルディエの中では唯一笑えるところだったかも……。個人的にはレミゼに笑いを求めていないので、どうでもいいのだが。

 バルジャンは全キャストの中でも最高クラスに素晴らしかったが、最後のシーンだけは少々死にゆく老人にしては若々しく見えてしまった。演技と歌で充分良かったけれど、最初の囚人時代は視覚的リアリティも凄まじかったので、欲を言えばここでももっと老人らしく見せてほしかったな。バルジャンの最期には、舞台で登場するエポニーヌは出てこない。楽曲的には寂しく感じてしまったが、この映画ではバルジャンとエポニーヌは面識がないし、話の流れとしては自然でより良かった(なお、脚本にはエポニーヌの名前もある)。そしてバルジャンの魂はファンティーヌに手をとられ、笑顔のミリエル司教に迎え入れる。原作で死に際に、司祭さんを呼びましょうかと問われたバルジャンが、司祭さんはすでにひとりおられる、と答える場面もふまえているのだろう。現実のバルジャンは死にながらも、魂はファンティーヌとミリエル司教とともに歌い続ける(が、マリウスとコゼットにはもちろん見えない)という、非常に舞台的な表現で、映画として自然に見せるのが難しそうなシーンだったが、それほど違和感もなく、泣き崩れている娘を優しく見つめるファンティーヌの表情も印象深かった。そこにエピローグの People's song が重なってくるところはほんとうに感動的で、涙なしには見られないとはこのこと……。現実に生きているはずのマリウスとコゼットが、ふと何かが聞こえたかのように顔を上げていたのも良い。

 そしてもう反則級に感動! という感じのラストシーン。何度か見てもなお鳥肌が立つ。予告編であの巨大バリケードを見たときには、まさかこの場面だとは思わず……冷静に考えれば、現実なわけはないのだが。 "They will live again in freedom in the garden of the Lord." だった部分をはじめとして、この一連の歌詞がすべて、 "We will〜" となっているのも素晴らしい。(ちなみに脚本はTheyのままである。しかし、サントラで確認してみてもやはりWeと聞こえるし、後から変更を決めたのだろうか。字幕がどうなっていたかは忘れた)このエピローグは、人々が語り部的な立場になってナレーションとして歌うイメージを持っていたが、この映画でははっきりと、様々な理由で志半ばに死んでいった登場人物一人一人が歌う、という場面になっている。晴れやかな顔で歌うABCの友、エポニーヌ、バルジャン、笑顔のファンティーヌ。人数が多すぎてなかなかすべての人物を目で追いきれないが、グランテールはアンジョルラスの傍らで元気よく旗を振っていて、良かったね! という気持ちになった。

 レ・ミゼラブルの主役ともいえる「惨めな民衆」が目指しながら届かなかった希望ではあるが、それは未来へと受け継がれていく。舞台同様、この場面にジャベールの姿はない。象徴的な場面であると同時に、いわば神の世界での光景でもあるのだろうから、神の道から離脱したジャベールがいないことには納得がいくし、それは彼の魅力でもある。が、政府軍の兵士の死体が現実のまま存在して(?)いて、彼らには救いがないのか? という点については少々気になってしまった。それはさておき、しつこく原作では〜と書いてきたが、この最後の場面で感じる希望は、良い意味で原作と大きく異なるところだと思う。


 見た後で、人物のアップが多すぎると批判されているのを知ったが、表情がよく見えていいなーとしか思っていなかった。むしろ見切れそうなくらい画面の端に人物を寄せて映したり、水平な空間をわざと斜めに映したり、ブレるように映したり、極端な構図が私はかなり好きだったが、もしかしたらあれも好みが分かれるところだったのかもしれない。

 字幕が、日本公演の訳詞も参考にしているとの注釈があった。既に歌詞内容を知っているのと人物の演技に集中したかったのとで、初回以外はあまり字幕を見ておらず記憶が曖昧だが、訳詞に引きずられすぎではないだろうか? と思う箇所が幾つかあったような気がする。日本公演ファンへの配慮なのかもしれないが、せっかくの機会なので全く無関係に訳してほしかったな。訳詞とは全く違うのが良いと思ったところは、細かいが、アンジョルラスがマリウスに命じる "Rest." が「交代だ」となっていたこと。日本語歌詞では文字どおり「少し休め」と親密そうに言っていて、妙に違和感があったので(舞台版はアンジョルラスとマリウスは特に仲が良いようだが、個人的にその設定が好きじゃないので……)。

 細かい部分の記憶が曖昧なので、ソフト化が待たれるところである。既に長々とは書いたが、発売されたら確認したいところは山のようにあるので、意見が変わる部分もあるかもしれない。