Notre-Dame de Paris - ノートル=ダム・ド・パリ - 楽曲

Acte II

Florence

 フロロとグランゴワールが時代の移り変わりについて語り始める。舞台はシンプルな薔薇窓のスポットライトのみ。«Les livres des écoles tueront les cathédrales, La Bible tuera l'Eglise et l'homme tuera Dieu.»「学校の本は大聖堂を滅ぼし、聖書は教会を滅ぼし、人は神を滅ぼすだろう」。«Et nous sommes à l'aube d'un monde qui se scinde. Ceci tuera cela.»「そして我々は分裂する世界の夜明けにいるのだ。これがあれを滅ぼすだろう」。このシーンの意味は、原作の「これがあれを滅ぼすだろう」("Ceci tuera cela")という章に詳しい。

Les Cloches

 エスメラルダに恋する鐘つき男は、鐘をつかなくなってしまった。舞台の上方には三つの大きな鐘が下がり、それぞれにダンサーが入っているという演出。カジモドは三つの鐘を友人のように愛していた。彼が鐘を鳴らす祝日や忌日が次々に歌われる。«Toutes ces cloches de malheur, Toutes ces cloches de bonheur, Toutes ces cloches qui n'ont jamais encore sonné pour moi.»「すべての不幸の鐘、すべての幸福の鐘、すべてのまだ一度も俺のためには鳴ったことのない鐘」。«Je veux qu'elles claironnent si Esmeralda est vivante, pour dire au monde que Quasimodo aime Esmeralda.»「もしもエスメラルダが生きているなら、高らかに鳴り響いてほしい。カジモドはエスメラルダを愛しているのだと世界に告げるために」。

Où est-elle?

 フロロとクロパンはそれぞれに姿を消したエスメラルダを探している。フロロはグランゴワールにお前の「妻」はどこにいったのかと訊ねるが、グランゴワールは答えをはぐらかす。一方クロパンには「サンテ刑務所にいる」と教えてやる(何故彼は知っているんだろう?)「お前のエスメラルダはどこだ?」と訊ねるフロロ、「俺のエスメラルダはどこだ?」と訊ねるクロパン。フロロの屈折した感情と、クロパンの率直な愛情が対比されているようである。

Les oiseaux qu'on met en cage

 独房に入れられたエスメラルダは、カジモドを呼んでいる。巨大な格子が斜めに歪んだような舞台。一方ではガーゴイルの像に乗ったカジモドが登場し、彼女の身を案じている。離れたところから、互いに探し出せない相手を想う言葉が、歌の上ではデュエットになってゆく。二人は、エスメラルダがカジモドに水をあげた日のことを思う。«On est devenus ce jour-là, amis à la vie à la mort.»「私たちはその日、生涯変わらぬ友となった」。エスメラルダも、カジモドには特別な友愛を感じているようである。

Condamnés

 クロパンを筆頭とするサン・パピエたちが捕まる。サン・パピエたちは皆全身白いパーカー姿、彼らが挑んでは連れ戻される役人(兵士?)たちは黒い姿で、武道のようなダンスが繰り広げられる。«Comment faire un monde où il n'y aurait plus d'exclus? Comment faire un monde sans misère et sans frontières?»「どうすればいい、もう疎外されることのない世界をつくるには? どうすればいい、貧困のない、境界のない世界をつくるには?」牢へと引きずられながらも、境界の彼方を見ているようなクロパンの強いながらも哀しい視線と、強烈な歌声が圧巻。

Le Procès

 フェビュスを誘惑し、刺した罪で尋問されたエスメラルダは、フェビュスが生きていることを知る。尋問しているのは修道服姿のフロロ。あまり目を合わせようとせず、訥々と問いつめる。感情は窺い知れない。エスメラルダは罪を否定する。

La Torture

 背を向け、押し殺したような声音で拷問を言い渡すフロロ。「(罪を)告白するか?」「告白するわ、私は彼(フェビュス)を愛していると」。エスメラルダに、フロロは絞首刑を宣告する。

Phœbus

 牢の中に崩れ落ち、ひたすらにただフェビュスを想うエスメラルダ。当のフェビュスはすっかり彼女を裏切っているのだが、エスメラルダは知らない。一フレーズごとに"Phœbus" "Phœbus"……と名を呼び、どうか救い出して欲しいと訴える痛切な歌。

Être prêtre et aimer une femme

 エスメラルダに自ら刑を宣告した牢を離れ、フードを取った姿でひとり立ちつくしているフロロ。狂気のようになってゆくのは、それだけかつては禁欲的に生きてきたからなのだろう。呟くような歌が、次第に激情になってゆく。«Caresse-moi d'une main, torture-moi de l'autre. Fais-moi expier ma faute. L'enfer où tu iras, j'irais aussi et ce sera mon paradis.»「その手で私を愛撫し、もう片手で私を責め苛んでくれ。私の過ちを償わせてくれ。おまえの堕ちる地獄へと私もまたゆこう、そうしてそこは、私の天国となるのだ」

La Monture

 フェビュスの薄っぺらな誠意を皮肉り、嘘ばかりの誓いを詰り、スメラルダを絞首刑にすると誓うならば彼を愛するだろう、と愛らしい声にドスを効かせて歌うフルール=ド=リス。純粋さの裏返しのようなその怖さと、凄みのある負の美しさ。出番の少なめな彼女の見せ場、とても好きなシーン。«Détrompes-toi car je suis aussi blanche qu'une brebis qui se roule dans la boue.»「目をお覚ましなさい、私は羊のように純白なのだから。泥の中に横たわる羊のようによ」

Je reviens vers toi

 舞台後方にはエスメラルダの閉ざされている牢、欲望の象徴のような女性ダンサーを次々と通り過ぎ、やがて婚約者のもとへ戻ってくるフェビュス。«J'étais ensorcelé dans ma tête dans mon corps. La bohémienne m'avais jeté un sort.»「僕は惑わされていた、身も心も。あのジプシー女が僕に呪いをかけたんだ」エスメラルダを散々に罵倒し、今なお愛しているのは君だと告げる。

 ……フルール=ド=リス、ほんとにそれでいいの? この時代のひとつの女性像(あるいは男性から見た女性という偶像)を見るようである。

Visite de Frollo à Esmeralda

 聖職者としてフロロがエスメラルダの牢へ訪れる。ここから出してと訴えるエスメラルダ。«Qu'est-ce que je vous ai fait pour que vous me haïssiez?»「あたしがなにをしたっていうの。あなたがあたしを憎悪するような、なにを?」だがフロロは静かに答える。«Ce n'est pas de la haine. C'est que je t'aime.»「憎悪しているからではない。愛しているからだ」はっと顔を上げるエスメラルダ。«Je t'aime!» 痛切な叫びとともに僧衣のフードを脱ぎ、顔を上げるフロロ。聖職者から、ひとりの男へ、その心をさらけ出すように。だがエスメラルダは必死に耳を塞ぎ、その言葉を聞くまいとする。

Un matin tu dansais

 苦悩とともにエスメラルダへの思いを告げるフロロ。だがまだフェビュスを信じるエスメラルダはその愛を想い、フロロを罵る。だがフロロはなおも迫る。«C'est le gibet ou moi.»「絞首台か私か」«C'est la tombe ou mon lit.»「墓か、私の寝床かだ」«tu n'as qu'a dire "oui".»「おまえは『はい』というしかないのだ」。牢を開けて立ち入るフロロ。だがそのとき、カジモドの手によって囚人たちが解放された。牢へと駆けつけたクロパンは、拒絶するエスメラルダに襲いかかろうとしたフロロに背後からの一撃を食らわせる。

Libérés

 解放と自由を歌うカジモドたち。舞台後方の巨大な檻が天へと消えてゆく。 ここでもダンサーたちのアクロバティックな動きが見られる。 語り部グランゴワールも加わり、一斉に解放を歌い上げる。

Lune

 夜にひとり佇むグランゴワールが、カジモドの愛と苦悩を歌う。後方の空には小さな三日月。カジモド自身ではなく、あえて語り部であるグランゴワールが表現する。美しいハイトーンを堪能できるナンバー。«Lune, qui là-haut s'allume sur les toits de Paris, Vois, Comme un homme peut souffrir d'amour.»「月よ、パリの屋根の上に高く輝く月よ。見てくれ。ある男が、いかに愛のために苦しんでいることか」

Je te laisse un sifflet

 エスメラルダを匿うカジモド。眠ってしまったエスメラルダの傍らで、カジモドは語る。«Est-ce que tu rêves à ton soleil?»「君は、君の太陽の夢を見ている?」

Dieu que le monde est injuste

 エスメラルダから少し離れ、降りてくるカジモド。「神よ、世界はなんと不公平なのだろう。君は君のきれいな騎士を愛するがいい」見た目か、心の中か。嫉妬も覗かせながら、自分の醜さを、心のないうわべの美しさが選ばれるこの世の不平等を、カジモドは神に問う。«Et de quel côté est Dieu. Du côté des ostensoirs ou bien du côté de ceux qui le prient matin et soir?»「神はどちらのそばにいる? 豪奢な祭具か、それとも朝晩祈るものたちか?」

Vivre

 やがて目覚めたエスメラルダはひとり、生への希望を、愛を、自由を歌う。«Vivre, Pour celui qu'on aime. Aimer, Plus que l'amour même. Donner, Sans rien attendre en retour.»「生きる、愛するだれかのために。愛する、愛それ自身よりも多く。与える、代償などなにも求めずに」孤独の中に、新しい愛の形を見いだしたようなエスメラルダ。それはかつてのフェビュスに対する愛を超えて、もっと広い意味での愛に変貌を遂げ、作品のひとつの主題とも見える、無償の愛によって結びつけられ、無情な秩序に立ち向かおうとするアウトローたちの図式へと繋がってゆくかのようである。«Ces deux mondes qui nous séparent un jour seront-ils réunis?»「あたしたちを隔てる二つの世界は、いつの日かひとつになるだろうか?」

L'attaque de Notre-Dame

 工事中……

Déportés

 工事中……

Mon maître, mon sauveur

 工事中……

Donnez-la moi

 工事中……

Danse mon Esmeralda

 ハイライトCDの邦題では「踊れ、僕のエスメラルダ」となっているが「踊れ」と命令するような感じでは決してなく、「僕」というキャラでもない気がするので、個人的にはこんな感じ。エスメラルダの亡骸をかき抱きながら、カジモドが歌い上げる。«Danse mon Esmeralda. Chante mon Esmeralda. Laisse moi partir avec toi. Mourir pour toi n'est pas mourir.»「踊っておくれ、俺のエスメラルダ。歌ってくれ、俺のエスメラルダ。君と共にゆかせておくれ。君のための死ならば、それは死ではないのだから」。エスメラルダの上に覆い被さるように倒れるカジモド。悲劇の結果ではあるが、決してただの絶望ではない。エスメラルダと共に死ぬことを選んだカジモドは、唯一永遠に彼女を勝ち取ることができた者だったのではないだろうか。

 "Danse mon Esmeralda, Chante mon Esmeralda"、このシンプルな繰り返し、最初にCD版で聴いたときにとても泣けた。DVDに収録されている舞台では、少し余韻が少ない気もするのが惜しいけれど。(ここに限らず、ときどき演奏がさっさと切り上げてしまう感じなのが残念)

Finale

 ─カーテンコール─