Les Misérables (Bille August, 1998)

— The rules don't allow me to be merciful. I've tried to live my life without breaking a single rule. —

映画『レ・ミゼラブル』(1998 アメリカ)ビレ・アウグスト監督

"Les Misérables"
Bille August / 1998

映画『レ・ミゼラブル』
1998年 アメリカ
ビレ・アウグスト監督
リーアム・ニーソン主演

・ハリウッド版レミゼ? 監督はデンマーク人のようだが。
・衝撃のラスト!?
・エポニーヌが出てこない。
・アンジョルラス他、ABCの友は出てこない。(※1)
・テナルディエ夫妻も殆ど出てこない。
・ツッコミどころ満載だが、ある意味おもしろい。

個人的評価

映像
音楽
キャスト
エンタメ性
雰囲気
物語の解釈
原作に忠実度

 初めて見た映画版「レ・ミゼラブル」がこれだった。映画の粗筋を確認してから見たので衝撃は小さいと思っていたのだが、実際に見たらやはりショックを受けた。覚悟していても(別の意味で)泣ける映画である。ジャン・ヴァルジャンやジャヴェールの描き方が「?」で、マリユスに至っては全く別人、ラストがきわめて謎なので、原作(や原作寄りの作品)を知らない人にはあまりおすすめしたくない……かも。

 以下、ネタバレ注意。

 ジャヴェールファンとして非常に抗議したいのが、ラストである。いやそれ以上に、ジャン・ヴァルジャンの描き方に対して抗議したいというべきか。傷ついたマリユスを自宅に届けた後、ヴァルジャンはジャヴェールの待つ川岸へと戻ってくる。ジャヴェールはヴァルジャンに銃を突きつけ、暫し言葉を交わす。「監獄の暮らしから解放しよう。だが法は私に慈悲を許さない。私は法を守る一生を全うする。お前は自由だ」(※2)。最後にそう告げると、ヴァルジャンの手錠を外して己の腕にかけ、河中へ身を投じる。暫し茫然と佇むヴァルジャン。しかし再び歩き出すと、晴れ晴れと微笑する。終わり。

 ……なんだこれはー!?

 あまりの衝撃に、見終えてしばらくは茫然と「こんなのジャヴェールじゃない!」と思ったが、落ち着いて考えてみると、問題はそうではなかった。前半のジャヴェール(Geoffrey Rush)は見事に悪人面で、ことあるごとに冷酷非道ぶりばかりが強調され、ちょっとこれは……というシーンも多々あるものの、そのつもりで見ていれば、法を守ることを絶対の信仰とした彼の生き方は描かれている(「最後に改心した悪人」みたいには見えるともいうが)。市長を告発してしまったジャヴェールが免職を求めに来るというシーンも入っている。(市長=ヴァルジャンにカマをかけにきたようにしか見えないともいうが)。「私がジャン・ヴァルジャンだ」と名乗り出る法廷シーンも、かなり力が入っている(それに至る苦悩が足りないともいうが)。よりによって、ヴァルジャンの目の前でジャヴェールが自殺するという筋書きは酷いが、映画という性質柄、テーマを絞って二人の対峙で盛り上げているのだろう。

 だがしかし、こんなジャン・ヴァルジャンは良いのだろうか? 「こんなのヴァルジャンじゃない!」が正しかったのだ。ラストは、再び地獄へ戻ることを免れたこと、自由の身になったことを喜んでいたのだろうか。だが、こと目の前で(それも自分のために)人が命を絶ったというのに、己のために笑えるだろうか? ヴァルジャンはそんな人間ではないと思うし、結果としてジャヴェールは剰りにも可哀想である……。「なぜ私を殺さなかった?」「そんな権利はない」「私への憎しみはあるだろう」ヴァルジャンは答える。「何も感じない」。果たしてそうなのか。茫然と水面を見つめるヴァルジャン、で終わりだったら、まだいくらか救われただろうに。

 マリユス(Hans Matheson)はどうやらABCの友のリーダーのようである。えっアンジョルラスは!? ともかく、それにも拘わらずコゼットへの恋を抑えきれないマリユスは、夜な夜な逢い引きにゆく。そんな彼もいよいよ蜂起という日になって、共に英国へゆこうというコゼットに別れを告げ、革命に身を投じる。アンジョルラスとマリユスを一人のキャラクターに纏めるのはさすがに無茶というものだ。天然マリユスが好きな私としては、どっちつかずの性格も歯痒い。他の学生たちやエポニーヌが出てこないのも寂しいし、革命リーダーにはやはり「恋人の名は祖国」というくらいの禁欲的な気概が欲しいものである。

 凛々しく激しいファンティーヌ(Uma Thurman)は、逆に莫迦な一面は描かれず、といって単なる薄幸のヒロインに留まらない。こと、死に顔は壮絶(※3)。コゼット(Claire Danes)は愛らしいながらも、反抗したり、我儘だったりと単なるお嬢さんでは終わらない。こういうのもありかもしれないが、現代風の描き方過ぎて、マリユスとの関係などどうも空々しい。ガヴローシュは登場していて、それなりに活躍しているが、機敏な可愛い子どもという感じであり、もう少し老成ぶりが欲しかった。

 この映画のジャヴェールも、ひたすらにヴァルジャンを追っている(原作でも追ってはいるが、他の任務もしている)。ヴァルジャンの逮捕状を手にファンティーヌの病舎へやってきたジャヴェールは、ファンティーヌも逮捕しようとして止めるヴァルジャンを突き飛ばして蹴飛ばす。ヴァルジャンも「お前が殺した」と糾弾するのは無論のこと、ジャヴェールから手錠を奪うと彼にかけて頭を掴み壁に何度も叩き付けて気絶させる(!)。そこまでやるのはファンティーヌへの愛らしい(!)。しかもその後、ジャヴェールの部下らしき警官が出てきたヴァルジャンを逃がすのである。警官「(ジャヴェールを)殺したのか?」首を振るヴァルジャンに「そりゃ残念」。……。正確ではないかも知れないが、この一連のシーン、あまりにもジャヴェールが可哀想でもう見たくない……。

 そこまでやるか、と言えば、冒頭で銀の食器を盗んでいる最中に司教様に見つかってしまった(!)ヴァルジャン、なんと司教様を殴り倒して逃走。途中、コゼットには自ら過去を話し始めるし、なんだか全体的に乱暴すぎるヴァルジャンなのである。

 先に述べたように、この映画はあくまでヴァルジャンと、追跡するジャヴェールを中心に描かれている。それゆえに追跡を逃れて自由になったヴァルジャン、で物語が終わるのだろう。 "I'm going to spare you from a life in prison, Jean Valjean, You are free." ——ジャヴェールは彼の「信仰」を守るためという以上に、ヴァルジャンに自由を与えるために死んでゆくとも見える。だがそれゆえなおさらこのヴァルジャンには、何故あなたはそこで晴れ晴れと笑えるのか、との思いを禁じ得ない。

 筋書き全体(特にヴァルジャンの描かれ方)に対しては非常に「何だこれは!!」と言いたいが、防塞にてジャヴェールを解放するヴァルジャンのシーンなど、現代映画ならではの良さもある。「何故追った?」と問うヴァルジャンに「私を出し抜いたからだ」と答えるのはまったくいただけないとしても、喉元に銃を突きつけられたジャヴェールは、何とも言い難い目で大男(ヴァルジャンの方がかなり大柄)を見据え、囁く。 "Kill me." 一瞬の対峙の後、空へ向け銃を放つヴァルジャン。 "You're dead, Javert." 告げると踵を返し、その場を後にする。こういう演出は確かに格好良い。こんなのヴァルジャンじゃない、との思いは拭えないが、こうしたノリについては敢えて評価したい。

 ところで、 Geoffrey Rush は素晴らしい。脚本が妙なので、ある程度は「?」となってしまうが、彼個人の演技は好きだ。その表情、ことに後半、徐々に変化してゆく眼差しには、とても深いものがある。セーヌに沈んでゆく様は、清らかである。(ただ、橋からは落ちていないのだが。河も難所どころか比較的穏やかで浅く、果たしてあれで死ねるのか心配だ……)映画全体としてジャヴェールはかなり「横暴な悪役」式に描かれているにも拘わらず、演じる Geoffrey Rush の細かな演技のみが唯一それを裏切っているようにも思えるのは皮肉なことである。(※4)誰ひとり彼の生き方を理解できなかった、と考えるとそれもまた、正しいのかも知れないが。

※1 スタッフロールによると、アンジョルラスは一応、名前としては出てきたようだ。しかしどの人なのかはわからなかった。

※2 "I've tried to live my life without breaking a single rule." 字幕の訳は「私は法を守る一生を全うする」、吹替の訳は「法を守ること、それが私の人生だった」。

※3 私はジャヴェール贔屓が高じて、ファンティーヌの臨終にはどうも感情移入しづらい。「君がそこで死ぬから!」という理不尽な逆恨みを前提に見ていて、それでもなお「素晴らしい」と思える、 Uma Thurman ファンティーヌの死に様ではあった。

※4 後から公式サイトのインタビューを読んでみた。だが、ヴァルジャンを演じる Liam Neeson の語る『レ・ミゼラブル』、およびヴァルジャン・ジャヴェール像というものはやはり私には共感し難いものだった。対して、 Geoffrey Rush のコメントには成程、と思う一面が多くあったのも興味深い。