Les Misérables (Josée Dayan, 2000)

— The crime of letting a convict get away. and the even greater crime of arresting him- —

2000

"Les Misérables"
Josée Dayan / 2000

TVドラマ『レ・ミゼラブル』
2000年 フランス
ジョゼ・ダヤン監督
ジェラール・ドパルデュー主演

本来は八時間もある仏語版を、英語版として短く撮り直したものらしい。(吹き替えではない)

・登場人物の台詞が非常に説明的。解りやすい反面、語り過ぎとも感じる。
・ストーリー展開は比較的普通だが、描写は現代的。
・ABCの友の出番はほとんどなし。
・エポニーヌは、出てくるのにも拘わらず……。
・ジョン・マルコヴィッチのジャヴェールは味があるが、彼も含めてキャスティングは何だかズレた印象。

個人的評価

映像
音楽
キャスト
エンタメ性
雰囲気
物語の解釈
原作に忠実度

 世間の評価が高いようだったので期待しすぎたのかもしれないが、私にとっては退屈な映画(TVドラマだが)だった。配役も全面的に私のイメージとは違う。もちろん映画が原作どおりである必要はないが、それならば、原作にはない個性や新解釈によるおもしろさが欲しいところだ。残念ながら、私にはそのいずれも感じられなかった。どうしても同じ題材となると観た順番の都合で見較べてしまう上、次第に観方が意地悪になるのは否めないが、これならビレ・アウグスト版の方がまだ魅せる箇所もあり、(ショックで)泣けて(新解ビックリ映画として)楽しめるような……。マイナーかもしれないがロベール・オッセン版と較べてしまうと足元にも及ばない。しかし、繰り返すが、一般的に評価は高いようなので、単に私の趣味に合わなかったのだろう。

 原作を知らずに、ロベール・オッセン版の淡々とした作風では寝てしまう場合、レ・ミゼラブルの概要を理解するという点では悪くはないかもしれない。要は、あらすじを知らないと理解できないような箇所はあまり無い。台詞が非常に親切に解説してくれる。それだけに「行間で語る」ようなムードがまるでないのだが、複雑な話をわかりやすくするためには仕方がないのかもしれない。短縮版とのことだが、強引に話が飛ばされているという感はなく、うまく纏まっている。エポニーヌに関するエピソードを除いては。

 「原作に忠実度」を下げてしまったのは、原作のストーリーから逸脱しているという意味ではなく、原作に感じられるレ・ミゼラブルの魂を失って表面的、形骸的な忠実さに走っていると思える部分が多々あるため。総じていまひとつ主題の見えてこない映画だが、強いて言えば「真実」、「ものごとを外面的に判断してはならず、魂を見なければならない」というところだろうか。

 以下、ネタバレ注意。

 ジャン・ヴァルジャン(ジェラール・ドパルデュー)は、なんだか胡散臭い。この映画はヴァルジャンをことさら人間的に描いている。最後まで、大いに苦悩し、怨み、激しもする。それは良いのだが、少々若々しすぎる気もする。さらに、ヴァルジャンがコゼットに抱く愛はほとんど恋愛感情である。確かにその側面もあるが、それを超えるもっと大きな愛を見せてほしかった。その分マリユスとの確執はわかりやすいが、総じて俗っぽくなっている。下水道で瀕死のマリユスを担いで歩きぎながら、必死にお前を助けているけどお前のためじゃない、コゼットに恨まれたくないからだ、というような台詞を吐くのも、ちょっと……。基本的にこの映画は、バルジャンとコゼットの愛、それに加えてマリユスとの三角関係(!)といったものを主軸にしているのだろうか。しかし、修道院から出る際、コゼットに「おまえを神の囚人にしたくはない」と言うくだりは良い。(原作を具体的にしただけといえばそれまでだが……)

 ジャヴェール(ジョン・マルコヴィッチ)は、非常に魅力的ながら、これもまたどうもジャヴェールではない気がする。もの静かでふしぎなジャヴェールである。悪の追跡に対する執念は感じるのだが、もう少し堅さと、法の権威を示すという意味での威圧感が欲しい。弱々しいというほどではないのだが、どこか頽廃的でつかみどころがない。細かい仕草、歩き方などもそう。あと髪型が微妙。禿頭はまだいいとして、前半の蓬髪みたいなのはいただけない。ジャヴェールは髪のひとすじまできっちりと端正にしていてほしい。このジャヴェールは、やはり全面的にヴァルジャンを追うことに終始している。この映画のジャヴェールなんとセーヌに「落ち」ない。入水はするが、徐に沈んでいくのである。諸々の意味を考えながら、静かに深みまで歩いていくという演出なのだろうけれど。そして警視総監に宛てられた書簡で、心境が率直に語られてしまうのである。罪人を逃すという罪と、その罪人を捕らえるという罪の間で迷っている。何を、あるいは誰の罪を咎めて良いのか解らない。貴兄に委ねます、その答えは私には見つけられない、という感じで。解釈そのものについては、有りかもと思うんだが。実際に宛てられたものか、単なるモノローグなのかは不明瞭だが、おそらく多分書き残されたものがこれだったということかと。終始、斬新と言えば斬新な、世間を静かに眺める目つきに気怠い口調、やっていることは正しいんだけどそこはかとなくデカダンでなんだか敬虔さに欠けるジャヴェール。魅力的ではあるが(特に声が良い)、この魅力は、私がジャヴェールに求めるものではない。ところでドパルデューのインタヴューによれば、マルコヴィッチはビレ・アウグスト版でジャヴェールを演るのを断ったとのこと。ビックリ解釈の映画はイヤだったのだろうか?笑

 そのほか、司教様(オットー・サンダー)は若すぎ、俗っぽすぎで、説得力がない。ファンティーヌ(シャルロット・ゲンズブール)はわりと良いが、特筆すべきものは感じられない。死ぬ前にジャヴェールがやってきて、ヴァルジャンが罪人であることなどを告げ、そしてヴァルジャンはジャヴェールに「お前が殺した」とか言いはするのだが、いまひとつ中途半端な感もある。

 サンプリス修道女(ジョヴァンナ・メッツォジョルノ)が妙に美形。ここでは彼女は、ファンティーヌに安らぎを与えるために「コゼットが来た」と積極的に嘘をつく。また、その代わりか? 後にヴァルジャンが逃げ込んだ修道院で、修道院長(ジャンヌ・モロー)がヴァルジャンを捜しに来たジャヴェールに嘘をつき、その罰にと自らを鞭打たせるというエピソードがあるのだが、わざわざエピソードを創作してまでジャンヌ・モローを出す必要性がわからない。

 コゼット(ヴィルジニー・ルドワイヤン)は可愛いけど、マリユスに対する愛情もヴァルジャンに対する愛情も、現代的な演出のせいでどこか純粋さに欠ける。修道院の寄宿学校時代、結構成長したコゼットがヴァルジャンと常々密会し、隣で寝たりするのは……。まあここではヴァルジャンは、「私は君の父で、男とは違う」とか言うのだが。幼いコゼットは小綺麗で可愛らしすぎて、修道院長に「醜い」と言われても説得力がない。ヴァルジャンと最初に出会うシーンでいきなりコゼットと判明しているのも謎である。

 テナルディエ(クリスティアン・クラヴィエ)とテナルディエの妻(ヴェロニカ・フェレ)は、いずれも美形過ぎて一瞬誰かと思う。状況説明が親切なので間違えることはないが。辛うじて妻のほうが背は高いものの、細くて美人……。さらに二人とも単なる悪党として描かれていて、非常に底が浅い。とりわけ致命的ミスキャストな妻は、最後まで生き残っている。

 マリユス(エンリコ・ロ・ヴェルソ)は、少々ヴィジュアルが微妙。非常に現実的な雰囲気なので、もう少し天然で夢想家な感じが欲しい。短縮版のせいかどうか、リュクサンブールで初登場なので、単に終始恋に生きる青年にしか見えない上、コゼットが去ったのを知ったとき、エポニーヌには死のうとしていると思われて必死に止められるなど、何か違うような。このように、彼だけに限らないのだが、根本的にズレている(=新解釈?)のではなく、表面的に細かいところでズレているのである……。ちなみに祖父のジルノルマンはマリユスが負傷して館に届けられた時点でようやく出てくるが、話が前後していていまいちよくわからない。これも短縮されているのだろうか?

 エポニーヌ(エイシャ・アルジェント)は、目つきはいいが、身なりがわりと良くて不自然。なんとも可哀想なことに、短縮版で死ぬシーンが無くなったらしく、単なる蓮っ葉少女に見えた挙げ句にまるで見せ場なしに終わる。マリユスとの関係性もなんだかいまいちよくわからない。(よく見ればわかるのかもしれないがあまり何度も観る気には……。)そして、プリュメ街に住むコゼットと門越しに会話し、コゼットはエポニーヌを思い出す。アゼルマ(ソフィ・ミエオン)は元々特に何をするというわけでもない役だが、強いて言えばヴァルジャンが施しに来る際にテナルディエの命令で病気のフリをしていて、それをヴァルジャンがやや不自然に感じる、というシーンがまったく雰囲気ぶち壊しでいただけない。

 学生たちは完全に脇役に徹している。アンジョルラス(ステフェン・ウインク)は、不細工ではないがとりわけ美形というわけでもなく。何だかこのアンジョルラスは子どもっぽく、俗っぽい。ジャヴェールを銃殺しようとするアンジョルラスを、ヴァルジャンが強引に割って入って止めるのだが、このヴァルジャンでは何故ジャヴェールを救ったのか、話の流れとして全く理解できない。他にABCの友ではクールフェラック(クリストファー・トンプソン)の名前があったが、どの人だったのか不明……。どうもマリユスはアンジョルラスと同居していた(?)らしく、マリユスの親友はクールフェラックではなくアンジョルラスという設定のようである。

 ガヴローシュは、テナルディエの息子ではないようだ。なぜかマリユスにくっついていて、ゴルボー屋敷では共に行動する。ちょっと成長しすぎな気が。しかもエピソードはきわめて少なく、ガヴローシュの皮肉で純粋な魅力は全く描かれていない。そのわりには死ぬシーンはある。しかしこの場合エポニーヌの死をカットするよりは、まだしもガヴローシュの死をカットすべきではなかったのだろうか。

 あと、トゥーサンが男性になっている。一体何の意味が。その上ヴァルジャンは彼に大してやけに横暴な主人で、コゼットがマリユスに惚れたことに対して責め立てたりする。

 以上のように、各人物の配役や描き方には非常に疑問があり、総じて皆、俗っぽく深みがない。一番俗っぽくないのはジャヴェールだが。ジャン・ヴァルジャンの造形は、現代的な新解釈ともとれるが、それによって古典的な描き方にはない良さというものが特に感じられなかったのでどうしようもない。

 非常に悪いところはないが、特に良いところもない。結局、レ・ミゼラブルの物語を既に知っていると却って面白味に欠ける映画だが、まったく新鮮な視点で見るなら良いかもしれない。